タグ

高橋源一郎に関するAKIMOTOのブックマーク (3)

  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

  • 死者と生きる未来(高橋源一郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    これから書く文章の中には、読者のみなさんにとって、不愉快に感じられる箇所があるかもしれない。そのことをお許し願いたい。 わたしは大学を卒業していない。入学したが、わけあって大学を離れた。親や友人との交際も絶って、肉体労働をしながら、小さな小さな世界で生きた20代だった。 20代の終わり頃、腰を痛め、肉体労働もできなくなった。子とも別れ、養育費を送る身だったのに、金を稼ぐ術を失った。おまけに、ひどいギャンブル依存症になっていた。つてをたどり、やれる仕事は、他人にはいえないようなものでもやった。その一つが「女衒(ぜげん)」だった。簡単にいうなら、売春の斡旋である。 インターネットなどなかったから、三流夕刊紙に、内容をほのめかした広告を出す。男たちが電話をかけてきて、その男たちに女の子を紹介する。そんな、ヤクザがやっている商売の一番下っぱの仕事をした。わたしは、もっぱら新大久保のラブホテルに女

    死者と生きる未来(高橋源一郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
  • Togetter - 「作家・高橋源一郎(@ takagengen)さんの「震災で卒業式をできなかった学生への祝辞」」

    高橋源一郎 @takagengen 「午前0時の小説ラジオ・震災篇」・予告1・今夜は、「小説ラジオ」をやります。最近フォローされた方はご存じないかもしれませんが、一つのテーマでの連続ツイートです。長い時には、2時間近く続くので、フォローを解除されてもけっこうです。 2011-03-20 22:03:53 高橋源一郎 @takagengen 「小説ラジオ」・予告2・土曜日は、ぼくが勤めている大学の卒業式がある日でした。しかし、「非常時」のため、卒業式はなくなりました。けれども、その日、学生の3分の2ほどは、少々、着飾って、卒業式のない学校に集まったのでした。行くあてもなく、学内を彷徨する学生たちは難民のようでした。 2011-03-20 22:07:01 高橋源一郎 @takagengen 「小説ラジオ」・予告3・結局、学生たちは、いつしか学内のホールに集まり、予定されたプランのない「卒業式

    Togetter - 「作家・高橋源一郎(@ takagengen)さんの「震災で卒業式をできなかった学生への祝辞」」
    AKIMOTO
    AKIMOTO 2011/03/21
    同調圧力に納得行かなければ合わせることはない。同調圧力によってでなく多勢と同じ結果となることをしてもいい
  • 1