伊藤鶴吉 伊藤 鶴吉(いとう つるきち、1858年1月31日(安政4年12月17日) - 1913年(大正2年)1月6日)[1]は、明治時代に活躍した日本の英語通訳者。死去時の新聞報道では「通弁の元勲」と評されている[2]。 相模国三浦郡菊名村(現・神奈川県三浦市)の生まれ[1]。横浜で外国人から英語を学び[3]、1877年より横浜で通訳業を始める[1]。 1905年、アメリカの実業家エドワード・ヘンリー・ハリマン来日の際(このとき桂・ハリマン協定が結ばれた)に通訳を務め、その働きぶりからハリマンが経営する鉄道・汽船の一等乗車券をプレゼントされた[1]。またマイソール王国王子、バローダ王国国王、植物学者チャールズ・マリーズなどが来日した際も通訳を務めた[1]。 1882年に世界一周旅行をしたフランス、ランス (マルヌ県)のシャンパン財閥の御曹司ウーグ・クラフト(ユーグ・クラフト)の日本滞在