実際に「平成の大合併」のとき、三条市・燕市と周辺町村が合併して人口20万人規模の「県央市」(仮称)が成立寸前まで行ったのですが、合併の賛否を問う燕市の住民投票で「賛成49%、反対51%」という僅差で否決され、三条市と燕市はそれぞれ周辺町村と合併、別の自治体として歩む道を選んでいます。 ご指摘の通り、三条市と燕市は新幹線駅や北陸道のICを共有していて経済的な一体化は進んでいます。 両都市は金属加工という同じ産業基盤を持ち、深い相互依存関係にあるのは間違いないですが、歴史的役割も得意分野も異なっていて、歴史を通じ決して仲が良くなかったことも事実です。 三条は町を流れる五十嵐川上流の山間地域(旧下田村域)が良質な砂鉄の産地で、室町時代から鋳物など鉄加工業が盛んになり、江戸時代は鍛鉄が始まって和釘の一大産地となったほか、一面の低湿地だった越後平野の新田開発が進んで、鍬や鋤など農具の需要も旺盛になり