薄い布で包んだ鋭利な刃物が首筋に当てられようとしている。 映画『聲の形』の切迫感をたとえるなら、こんな表現になるだろうか。物語の冒頭部からひどく没入的だ。西宮硝子のイジメられている様が息苦しかった。教師の対応に嫌な汗をかいた。そして、自分がもしあのクラスにいたらと考えて、心拍数が上がった。ディスコミュニケーションの説得性が嫌らしい。京都アニメーション得意の実写的レンズ選択と撮影による奥行きの効果。エッジの効いたカッティング。そして、ピンと張り詰めた「物質」としての音の緊張感。そのどれもが「伝わらないことを伝える」ために働いている。感情を乗せて、人間を描くために、機能している。 誤解を恐れず言うならば、山田尚子監督が以前口にしていた『哀しみのベラドンナ』と同種の映画かもしれないな、と思った。かつて『哀しみのベラドンナ』の山本暎一監督はどんなに抑圧され、疎外されても心があるかぎり(それが妄想で
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