赤塚不二夫のことといっても、私は赤塚不二夫に面識はまるでない。赤塚不二夫の漫画を読んだ無名の一人というだけのこと。そこから思うことを少し書くというだけのことだ。昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]これでいいのだ(赤塚不二夫)」(参照)の続きのような話なので、その2としてもいいのだが、ちょっと違うかもしれない。 赤塚不二夫が亡くなっていろいろな感想をメディアやネットで見た。私はあるズレを感じた。自分が何か正しい感覚を持っているというようなことではない。なんだろうこのズレの感覚はと自分を訝しく思った。ブログなどでタモリの弔文が賞賛されるのにも少しズレを感じた。弔文が悪いということではまったくない。それどころか畢生の言葉だろうと評価するし、タモリは見えないところで赤塚に尽くしていたに違いないとも確信している。 ズレの感覚を抱えながら、そこに一番近く触れるのは栗パパの昨日のワッサーステータス「赤
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