上島竜兵追悼コメント ダチョウ倶楽部 肥後克広 寺門ジモン
上島竜兵追悼コメント ダチョウ倶楽部 肥後克広 寺門ジモン
上島さんの「かわいげ」が笑いを生んだ 「ケンカからのキス」も、「どうぞどうぞ」も、ダチョウ倶楽部の定番ネタは誰もが真似したくなるし、真似がしやすいものでもある。見る人の手に届きやすいフォーマットの集団芸を彼らは発明してきた。 そんなダチョウ倶楽部の定番ネタは、細かい技術の積み重ねと、大オチを務める上島さんのキャラクターによって成り立っていた。フリの段階では上島さんが感情をむき出しにして怒ったり暴れたりするが、どこか抜けているところがあってかわいらしく見える。最後に繰り出される上島さんのリアクションやコメントが面白ければそのまま笑えるし、面白くなければ、それをほかのメンバーや芸人がイジって笑いに変えられる。 上島さんの中にある「かわいげ」の埋蔵量が尋常ではないからこそ、何がどうあっても最後に笑いに着地することができるのだ。 ©時事通信社 「竜兵会」誕生のきっかけ そんな上島さんは後輩芸人にも
「『お疲れ様です』と丁寧に挨拶をして打ち合わせ現場に入って来られた。打ち合わせでは『うん、うん』と話を聞いてくれて、スタッフへの対応も丁寧ですごくいい方です。ただ、少し怖さを覚えるほど元気だったのが、いまでも印象に残っています。どんな人か掴めない感じもあったので、心の奥底にはなにかを溜め込んでいたのかもしれない」 上島さんが住む中野区のマンションを訪ねてみると、その前には報道陣とともに複数の地元住民が集まっていた。みな不安げな表情で立ち止まり、マンションを見上げている。 上島竜兵さんの遺体と妻らを乗せて中野警察署を出る車両 ©文藝春秋 撮影/上田康太郎 「10年ほど前に今のマンションの上層階に引っ越しされてきたのですが、その前も中野界隈に長く住んでいらっしゃった。以前の家は低層階で、窓の外から家のなかが見えてしまうんじゃないかと気にしていたようです。テレビとは違って、普段は物静かでとても繊
お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが11日、亡くなった。所属事務所によると、本日未明、自宅で亡くなっているのを家族が発見したという。 世代を超えて、多くのファンに愛された上島さん。昨年11月、還暦を迎えた際に行ったインタビューを再公開する(初出 2021年11月13日、年齢、肩書き等は当時のまま)。 ◆ 「ダチョウ倶楽部をはじめたのが23歳ですから、かれこれ36年ですか……。テレビに出してもらったり、ドラマに出たり、あっという間でした。思い返せば天狗になった時期もありますし、リアクションやめたいと思ったことも一度や二度じゃないですよ」 ハンチング帽をくるりと回したかと思えばブリーフ1枚でスタジオを駆け回り、お約束の一発ギャグでその場を締める。バラエティー番組で“リアクション芸”から“すべり芸”まで持てる武器を出し切るのが芸人・上島竜兵(60)の生き様だ。 「熱湯風呂」「アツアツお
5月11日、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」のメンバーの上島竜兵さん(61)が東京都中野区の自宅で亡くなっていたことが分かった。 世代を超えて、多くのファンに愛された上島さん。当初の夢は俳優になることだったという。俳優への憧れ、上京時の苦難、ダチョウ倶楽部結成秘話、故・志村けんさんとの思い出を語った「週刊文春」の記事を公開する。(初出:週刊文春 2018年3月8日号 年齢・肩書き等は公開時のまま) 〈全2回の1回目。後編・八畳一間1万8000円の部屋からのスタート、悩む上島に志村けんは言った「本当に好きなのは…」 を読む〉
◆ ◆ ◆ 『8時だョ!全員集合』の〈ヒゲダンス〉や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でのコント・ドラマ「THE DETECTIVE STORY」で探偵コンビに扮した加藤茶をはじめ、いつの時代にも志村には“あうんの呼吸”で笑いを生み出せる相手がいた。 志村けんさん 〈鏡コント〉でおおいに笑わせてくれ、志村に代わって『キネマの神様』の主演を引き継いだ沢田研二。『志村けんのだいじょうぶだぁ』の〈芸者コント〉で、なんともいえぬ緊張感を孕んだ笑いを醸していた柄本明。『志村けんのバカ殿様』の家臣役でバカ殿を盛り立て、『志村流』『志村塾』『志村通』『志村座』といった深夜枠を支え、プライベートでは“週8で会っていた相手”を務めていたダチョウ倶楽部の上島竜兵。『志村でナイト』で上島的ポジションに就き、やはり“週8”で飲み、志村が遺した愛車〈キャデラックエスカレード〉を引き取った千鳥の大悟。 そして、田
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く