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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (20)

  • 意味づけられたコーヒー - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために盆正月にいつも集まる友人たちとの会合もこのたびはZoomである。 盆正月に集まる相手は多くが親戚や故郷に残った幼友だちだろう。しかしわたしはなぜか大学のときの友人四人で集まる。全員同業種で勤務先はばらばら、なんとなし馬が合うがしょっちゅう飲みに行くような感じではない。それで盆正月になると寄り集まってやくたいもないおしゃべりをし、仕事に役に立つようなそうでもないような情報を交換し、またやくたいもないおしゃべりに戻る、そういう時間を過ごすのである。 そうだマキノさんコーヒー買ってよコーヒー友人が言う。わたしたちの仕事コーヒーは関係ない。ただしわたしはコーヒーが好きである。あのねと彼は言う。あのねえ僕の下の娘には障害があるでしょう、だからねえ沖縄のコーヒー農園の人と障害者支援団体の人と組んで社会起業的なアレをはじ

    意味づけられたコーヒー - 傘をひらいて、空を
  • あまい真綿 - 傘をひらいて、空を

    彼は仕事でへとへとに疲れて、彼女に連絡すると言ったことを忘れる。起きると彼女からメッセージが入っている。昨夜どうしたの?具合でも悪い?彼は返信する。だいじょうぶ。ごめんね。だいじょうぶならよかったと彼女は送りかえす。そのようなことが何度か起きる。あなたってほんとにいいかげんねと彼女は笑う。彼も笑う。 彼の仕事は先が読めないので、彼の予定はよく変わる。彼は彼女にそれを告げる。ごめんねごめんねと彼は言う。仕事なんだからしかたがないでしょと彼女は言う。笑って言う。そのうち彼もそう思う。仕事なんだからしかたがない。それからやがて、しかたないとも思わなくなる。予定が立たないならはじめから伝えなければいいのだ。それは当たり前のことで、だから意識なんかしない。 予定がつぶれても彼女に会いたいので、時間ができた日に彼は彼女にたずねる。今日行ってもいい?彼女は承諾する。彼は喜ぶ。やがて喜ばなくなる。それは当

    あまい真綿 - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2014/01/30
    "彼女は承諾する。彼は喜ぶ。やがて喜ばなくなる。それは当たり前のことで、だから意識なんかしない。彼の時間は平和に流れる。"でゾッとした。
  • 胡桃の中のふたり - 傘をひらいて、空を

    最近うちに来ないねえ。そう言われて、私はあいまいに笑う。彼女は私を見る。古いつきあいで、共通の友だちもみんな古くから一緒だったけれども、彼女が結婚してからというもの、職場でできた友だちや妹まで紹介されて、最近の飲み会はずいぶんとにぎやかだ。その妹があっけなく言う。そりゃあ、お姉ちゃんの旦那に遠慮してるんだよ、ねえマキノさん。私は諦めて、そうだね、とこたえる。よくわかるね。彼女の妹はえへんと胸をはって、だって私がお姉ちゃんと遊ぶのもあの人、嫌なんだもん、友だちとか、もっと嫌なんだよ、と宣言した。 彼女の妹は、万事に率直な彼女よりもさらにストレートで、なぜと思ったらなぜと訊く子どもみたいなところがある。言ったら彼女が困るから、私は黙っていたけれども、ばらされたらかえってほっとした。彼女の妹はあけすけに人の心に入ると同時に、驚くほど賢くて底抜けにやさしい人でもあるのだった。 美知子も配慮してるの

    胡桃の中のふたり - 傘をひらいて、空を
  • 透明な要求を捨てる - 傘をひらいて、空を

    癒されるねえ、と彼は言う。なにそれと彼女は訊く。なにって、つまり己の身の裡の回復が亢進し快いですね、という意味です。彼はそのように説明し彼女はからだの半分で寝返って皮膚でもって壁の温度を吸う。視界を走査する。たっぷり泳いだあとのシャワーの水分の空気に溶けたのと、半分ずつあけたビールの缶と、さっきまでのうたた寝の気配と、そのほかのなにも見あたらない。視線を内側に向ける。ちいさい刺をみつける。その輪郭を描写する。 癒した覚えゼロだし、私なんにもしてあげてないし、だいいち癒しとかそういうの、嫌いなんだけど。だけど、と彼はその語尾を引きとる。だけど俺はそれを口にしたので、それであなたは。それで私は、不可解でやや不快、だと思う。不快になることない、と彼はねむたくて気持ちいい声のままで言う。だってあなたの嫌いな癒しは俺の言ったこととはなんの関係もないんだ。 癒すなんて下賎な言い回しだよ、まったくのとこ

    透明な要求を捨てる - 傘をひらいて、空を
  • 弱者としてのレッスン - 傘をひらいて、空を

    爆発の音がする。グラスを手に空の光を振りかえって、華やかな戦争みたいだ、と彼女は言う。夜になったばかりの空が赤く光り、緑色がかり、うす青く陰る。部屋の灯りは落とされ、やや過密にそこにいる私たちはたしかに、逃げて隠れているようだった。私は少しだけ動揺して言う。その種の比喩を、私は臆病に避けているんだよね。不謹慎だ、みたいに叱られるから。ほんとうに爆撃を受けている人に申し訳ないと思わないのか、とか。「当事者の身にもなってみろ」と弾劾される事態を避けている。 片方の眉を上げて彼女は笑う。年に一度の大きい花火大会の晩で、彼女の一家が住むマンションのベランダからは、やや遠景にはなるけれども、それを見ることができる。けれどもベランダは幾人もが座れる広さではなく、外気は日が暮れても有害なまでの熱を有して、だから火花に飽いた者は順繰りにリビングに入って、よく働く空調が吐き出す空気と控えめな灯りのなか、水滴

    弱者としてのレッスン - 傘をひらいて、空を
  • 私たちの好きな弱者 - 傘をひらいて、空を

    声が耳に入って反射的に振りかえる。その動作が終わるころになって知っている声だったと気づく。女は私の隣の誰もいない椅子の、その隣に座って、軽く笑い声をたてる。あの人だ、と私は思う。ずいぶんと時間が経っているけれども、間違いない、と思う。 そのころ私は大学生で、金曜日の夜はたいていファミリーレストランにいた。正確には金曜の夜から土曜の朝にかけて、カップや皿を運び、フロアの半分を無人にして掃除機をかけた。人々は華やぎ、あるいは少し疲れていて、終電のころに入れ替わり、入れ替わった後の人種の方がいっそうきらきらしく、いっそう疲弊していた。終電を逃したのかもしれないし、いるつもりだった場所に飽いたのかもしれない。追い出されたのかもしれないし、何かのあてがはずれたのかもしれない。そのような人々を、私は好きだった。 わけても気に入りのひとりに、二十代半ばの女性がいた。端正というにはくせのある、おそろしく魅

    私たちの好きな弱者 - 傘をひらいて、空を
  • ずっと失敗していたい - 傘をひらいて、空を

    落ちちゃった、と彼は言う。だいじょうぶ、と彼女は言う。彼女の体温がほんの少し上昇する。彼の職場の昇任試験が何度受験可能なのか彼女は知らない。彼も言わない。そんなことはどうでもいいとさえ、彼女は思っている。彼女はただ彼に、そのままでいてこの世にはなんの問題もないと、そう教えてやる。小さいころからもう二十年ばかり、断続的にそうしている。 七つの彼を見て彼女は、かわいそう、と思った。彼の兄は彼の二倍の年齢なのに小学生にしか見えない華奢な少年で、そのくせ子どもたちより大人たちのほうに、すっかりなじんでいるのだった。彼はその背後でうつむいていた。彼の兄の内面は早熟でそれを格納するからだは脆弱で、その兄にばかり兄弟の母親の視線が注がれていることが、彼女にはくっきりと看て取れた。なにもかも年相応で目立たない彼を、誰も見てはいなかった。彼女は彼を見た。彼も彼女を見た。かわいそう、と彼女は思った。遊びましょ

    ずっと失敗していたい - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2013/07/14
    "私はあのいとこが失敗するのを待っている。かわいそうにと言えるのを待っている。"
  • 私のおかあさん - 傘をひらいて、空を

    かがんで目の高さを合わせ、おかあさんと呼びかけるとその人は振りかえり、やがて、彼女の名を呼んだ。彼女は首まで赤くして、でも泣くのはどうにか回避して、その人の手を取った。すげえなと彼は、小さくもない声で口にする。もう俺のことだってよくわかんないのに。相変わらず無神経なやつだと、彼女は思う。おかあさんが、ここで、聞いているじゃないか。 若くして彼を生んだのかしらと、初対面で彼女は思った。恋人の母はなんだかつやつやとしてきれいだった。大きい声で笑い、愉快そうに話して、ねえ私あなた大好きと、遠慮のない感情表現をしてみせるのだった。おかあさん怒ったら怖いんじゃないのと、彼女が彼に尋ねると、怖い怖いと彼はこたえた。そりゃもう、箒もって追いかけ回すからね、もう完全に気、だからこっちも必死で逃げた。おかあさんは機嫌よく笑って彼女に地元のお酒をすすめ、自分もくいくいと飲みながら、だってあんた、ろくなことし

    私のおかあさん - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2013/06/17
    家族ではないが、家族以上の家族。過去形が切ない。
  • 世界の理不尽と暴力に関するいくらかの情報 - 傘をひらいて、空を

    夫が留守にするから泊まりにいらっしゃいという、浮気相手を呼ぶみたいなせりふを受けて、私はその一軒家を訪ねる。彼女は私の友人のなかで二番目に年上で、仕事の都合で知りあって数年になる。なお、いちばん年上の友人は彼女の夫で、今日は「検査入院だよ、なんてったって七十歳だぜ」と言いのこして病院に向かった。私より七つ上なんだから、七十二歳よ、と彼女は修正した。そうそうはだいじょうぶかしら、去年拾ったのよと彼女は言い、好きですと私はこたえる。 彼女はうきうきと缶ビールを取りだす。そんなに年の離れた人と何を話すのと、誰かに訊かれたことがあるけれども、そんなのいくらでもある。私たちはおばさんの初心者(私)とおばあさんの初心者(彼女)であって、だからともに体調や他人からの扱いの変化にさらされながら今後の生活設計について検討している最中であり、小説を読み、美術展に行き、たとえば死だとか愛だとか偏見だとか世界の

    世界の理不尽と暴力に関するいくらかの情報 - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2013/06/17
    "ほんとうは世界を憎んでいるのに、折りあいをつけて生きているのよ。" "好きなだけ怒らせてやるのよ" "そんなに怒りつづけていられないから、疲れて寝ちゃうんだから。"
  • どうしてあなたは死ななくていいのか - 傘をひらいて、空を

    そのとき彼は動かなかったし、なんにも言いやしなかった。けれども彼はあきらかにどうかしていて、そのことは幾人かの人には自明だった。会議の途中の休み時間で、コールバックしたばかりと思われる電話を、彼は手にしたままだった。誰かが私とあとひとりに目くばせして、それからひどく上手に、彼に声をかけた。なにかありましたね。帰ってもだいじょうぶです、あとのことは僕らがぜんぶやります。声をかけた人はそのようなことに慣れているのかもしれないと私は思った。それくらいそのせりふはつるりと整えられていて、だから彼だって、それをいつのまにか飲んで、気づいたら胃に落ちていたのだろう。 彼は仕事上のいくつかのこととそれ以外のひとつのことを、仕事仲間である私たちに依頼した。仕事でない依頼は彼の委任状を携えて職場の近くの託児所に行き、そこにいるふたごの女の子を、何時間かのあいだ預かるというものだった。はあいと私は手を挙げ、控

    どうしてあなたは死ななくていいのか - 傘をひらいて、空を
  • ジェシカおばあさんの話 - 傘をひらいて、空を

    彼にはすぐに彼女がわかった。彼女はひらひらしたスカートを揺らし、髪を高々と結い上げて、唇は真っ赤だった。彼の周囲にそんな色の口紅を使う女の子はいなかった。みんなもっと自然な色のを塗っている。けれども自然であることなんか、彼女にとっては少しも魅力的じゃないみたいで、ハイヒールシューズのつくる人工的に女性的な仕草で彼女は駆け寄り、それだけが完全に自然な表情と口調で彼の名を叫んで、有無を言わせず抱きしめた。おしろいと髪染めと古い虫除けのにおいがした。彼はよろめいて彼女を支え、おばあちゃん、と言った。彼女は大量の皺を派手に動かしてにっこりと笑い、しゃなりしゃなりと歩きだした。すごい踵だねと彼は言った。そんなので転ばないの。エスコートをね、こういうのために確保しているのよ、とジェシカはこたえた。七十二歳だから確保しているんじゃないのかと彼は思った。 よしこという名の漢字さえ彼は覚えていなかった。

    ジェシカおばあさんの話 - 傘をひらいて、空を
  • 捕まえられない泥棒 - 傘をひらいて、空を

    待ち合わせの相手が遅れるという連絡を受けたのでコーヒーをのんで待つことにした。仕事帰りの約束にはまま起きることだ。みんなも私もそれぞれの業務を完全にコントロールすることはできないと知っているから、あんまり気にしない。私にかぎっていえば、人を待つということ自体が、実はそんなにいやではない。相手が永遠にあらわれないのではないかという疑いがうっすらと身体に満ちていく、あのやわらかな心許なさ。今夜だれかに会えなかったとしても、そんなのはたいした問題ではない。それなのに来なかったらどうしようと、どうしてか私は思う。そういうのが嫌いではない。 ターミナル駅の前の大きな交差点の向こうのビルディングのなかに入ったチェーン展開のカフェの、ガラス張りの窓際に座る。をひらく。男が紙でできた女−−人形ではなく、ちゃんと生きている−−に恋をし、女に触れ、紙の端で無数の切り傷をつくる。女に悪意があるのではない。ただ

    捕まえられない泥棒 - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2013/04/11
    "さっきね、泥棒を見たの、と私は言う。とても怖かったよ。"
  • ある夜の世界戦争 - 傘をひらいて、空を

    ごめん、急に電話して。いや、暇だから取ったので、かまわないんだけど、どうしたの、宗教、もの売り、それとも失恋? なにそれ。なにって、たいして親しくもない元同級生に電話をかける三大理由、人々に伝えたいすばらしい教えがあるか、人々に参画してもらいたいすばらしいビジネスがあるか、彼女や奥さんと別れてアドレス帳に残っている女という女の名前に手当たり次第電話してるか。すげえな、当たってる。何番目。三番目。三番目か、ろくでもないね。なんでだよ、商売と宗教よりいいじゃん。よくないよ、商売と宗教にはね、良きものを人々にすすめようという善意、あるいは、自分が得をしようというアグレッシブな熱意がある、けれども、失恋の場合、空いた穴をもてあましているだけで、当然私のことなんかべつに好きじゃないし、むしろ、どうでもいいからこそ、かける、どう、いちばんろくでもないでしょう。 言われてみれば、そうかも。そうでしょう、

    ある夜の世界戦争 - 傘をひらいて、空を
  • その欠落を微分せよ - 傘をひらいて、空を

    彼はそのとき彼の欲していたものを理解した。彼は自分のからだがそれをうしなっていかに緊張していたかを感知した。肩こりが治りそうだと彼は思った。世界に生きた人間がいると定期的に言い聞かせてやらないとたぶん僕はだめなんだ。 彼の結婚生活は六年で終わった。終わらないことが前提だったから長いとはいえないけれども、個人的には短いともいえない。だって六年だ、と彼は思った。けっこうなものじゃないか。彼は元と出した結論に納得していた。彼は傷ついていないのではなかった。でもそれはどうしようもないことだった。 彼と親しく話す同僚のひとりが、私毎週泣く、泣くのが趣味なんだと言うので、昼をともにしていた別の同僚が可笑しがって、そんなに泣くネタがあるのかと尋ねた。泣けるとか?彼女はなぜだかいばってこたえた。私くらいの達人になるとね、そんなものいらないの。たとえば私が死んだらみんなが泣くなあって思うの。でも私はい

    その欠落を微分せよ - 傘をひらいて、空を
  • 幽霊と住む - 傘をひらいて、空を

    彼はそのとき高校三年生で、近くの薬科大学を受験するつもりでいた。親戚が市内で小さい薬局をやっていて、僕が資格とったらこの店をおくれよと言ったら、ああやるよと言われたのだ。それに薬科大は家から近い。 薬剤師になろうと思ったのは理数系だったのと、薬というものにロマンティックな印象を持っていたのと、わりと暇そうだったからだ。お客が来たら薬を出してお客が来ないときにはを読もうと彼は思っていた。そうしたら大人になっても今と同じくらい読んでいられる。自分でなにか書くことだってできるかもしれない。すてきだ。そう思った。 薬科大の願書持ってると、友だちの相宮くんが訊いてきた。もちろんと彼はこたえた。相宮くんは実にいい笑顔で言った。それ、ちょうだい。 相宮くんは少し離れた都市にある大学の工学部を受けることになっていたはずだ。けれども成績が伸び悩んで、不安になったらしかった。相宮くんは意外と気が小さいところ

    幽霊と住む - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2013/02/15
    1つ前の記事( http://d.hatena.ne.jp/kasawo/20121120/p1 )と関連するのか。
  • 幽霊を書く - 傘をひらいて、空を

    それにしてもあれはほんとうにいい話だったねえと私は言った。それはよかったと彼はこたえた。彼は私にとてもよい話をし、私はそれを自分のブログに書いた。それから、あれは嘘だよと彼は言った。そのほかのもろもろも嘘だよ。 私が何度かまたたきすると、嘘をつくのは自分だけだと思うなんて愚かしいなあと言って彼は愉快そうに笑う。僕にはなんかいない。一緒に住んでいるのは彼女で、僕らは結婚する気がない。もちろん二歳の娘もいない。故郷の話も嘘だ。長野には仕事の都合で住んでいたことがあるからよく知ってはいる。でもそれだけで、そこで起きた話は嘘だよ。僕は東京のマンションで育って気の利いた故郷なんか持っていない。 私はなんだか愉快になって笑う。彼もふたたび笑う。私たちはそれからしんとする。私はコーヒーを飲む。彼もコーヒーを飲む。黒い魔法の液体、と私は思う。これさえあれば私たちの頭はするりと動くにちがいないのだし、いい

    幽霊を書く - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2013/02/15
    "だから僕はそこいらの罪のない知りあいをつかまえて嘘の話をしたんだろう。最近知り合って僕の背景を知らず、深いつきあいをする予定がなく、嘘をついても問題ない、無害な人に。" "伝聞と嘘とほんとうの話。"
  • あらかじめこぼれ落ちているものたちのために - 傘をひらいて、空を

    彼はなんということもなく、友だちがシェアした写真を観ていた。それはすでに彼の習慣のなかに組みこまれていた。みんな撮るし、みんなアップする。彼は仕事の合間に、と小さい息子との卓が一段落したあとに、通勤の無聊に、それを閲覧した。それらはすぐれた写真ではなかった。あたりまえの視点をただそのままごろりと投げ出したものが大半だった。友だちはカメラを好きで、でもあるときからほとんど意図的にそういう撮りかたをするようになり、彼はそれを好ましく思っていた。 そのようなものをこそ彼は好んでいた。すぐれた写真はすでに大量の商品として出回っているのだし、商品なんか金を出せばいくらでも買える。彼はそれに飽いており、けれどもだからカメラには飽きたんだよと言うことはどうしてかいやだった。そうして技巧から離れた無造作な写真を大量に閲覧する習慣を身につけた。それがなにかの惰性もしくは欺瞞であってもかまわないと彼は思っ

    あらかじめこぼれ落ちているものたちのために - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2012/11/28
    "でもそれは打ち捨てられるべきものではないし、それを拾う手段は必ずある。そのためだけにでもみんな写真を撮るべきだし、絵を描くべきだし、手近な楽器を弾くべきです。そうじゃありませんか。"
  • 成就されないことによる愛の非暴力性について - 傘をひらいて、空を

    二十二歳の春、彼は静かにそこに落ちた。それは彼に浸透し彼の組成を不可逆的に変化させた。それは痛みのように自明だった。幼児は転んで泣いて周囲からああ痛いんだねと教わるけれども彼はあらかじめそれをで読んで知っていた。これがそうなんだなと彼は思った。感覚に関するカテゴリを予習して自分の内的な現象にそれを適用することが彼にはしばしばあった。 それは山の中の深い湖に似ていた。そこにいるとされる荒ぶる神のために古代から定期的にいけにえが投げ入れられてきた、しかし今はただ静かな湖だった。それは発生したときから彼自身に含まれていた。彼はそれを取り消すことができないと知っていた。それによって長く苦しめられることを知っていた。彼はそれを受容した。受容に関して、彼はちょっとしたエキスパートだった。彼は自己も他者もその人の外側からは彼/彼女がどうあるべきか決められる道理がないと端的に信じており、だから受容は必然

    成就されないことによる愛の非暴力性について - 傘をひらいて、空を
  • 傘をひらいて、空を

    仕事やめたんだあ。 友人が言う。皆が一斉に失業保険について質問する。もうやったか。自己都合退職でももらえる。手続きはこう、必要な書類はこう。 その場にいる全員が失業保険の申請をしたことがある、または申請方法を調べたことがあるのだから、就職氷河期世代とはせつないものである。資格職外資大学院入りなおし中途採用公務員、そんなのばかりである。 しかし、五十近くともなると職が落ち着き、転職がぐっと減った。だから仲間うちで仕事を辞めたという話が出るのは久しぶりなのである。 退職したという友人は、失業保険ねえ、とつぶやく。めんどくさい。 皆がいっせいに、もったいない、と言う。もらえもらえと言う。 しかし、よく考えればこの女には昔からそういうところがあるのだ。 彼女はふだんはパワフルだ。早くにできた子どもが二人いて、若くして配偶者を亡くし、親類や友人や、もちろん自分の能力と時間も含め、手持ちのリソースをフ

    傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2012/10/17
    ため息を吐くほど美しい表現。この人何物なんだろうか。
  • 作文が終わらない - 傘をひらいて、空を

    七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。 学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴と言うと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。 八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませてべる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、

    作文が終わらない - 傘をひらいて、空を
    AmaiSaeta
    AmaiSaeta 2010/04/21
    よくはてブホッテントリに顔を出す『綺麗な文章を書く為の方法』みたいなのに、イマイチ納得出来ない理由が腑に落ちた。"でもそれはほんとうはつまらないことなのだ"
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