七夕の夜、国会前に集まって不戦を誓おう-。最近結成されたグループ「日中戦争80年市民フォーラム」がそう呼びかけている。七月七日夜は八十年前、日中全面戦争の発端となった盧溝橋(ろこうきょう)事件が起きた。「アンチ中国、韓国、北朝鮮の政治家発言や報道がまかり通り、『戦前』が人ごとではなくなった。侵略の歴史や加害責任と向き合い直す場にしたい」と訴える。 (辻渕智之) 七日は参院議員会館前で午後七時、国会正門前で同八時に集まり、旧日本軍が悲惨な被害をもたらしたアジア太平洋地域の人々に向けてメッセージを発する。八日午後三時からも正門前で集まる。正門前からほど近い三宅坂には八十年前、参謀本部や陸軍省があった。「侵略軍の中枢だった場所で集まる意味もある」という。 メンバーは首都圏に住む有志で一月から学習会を重ねてきた。六月にも十五人が参加し、講師を務める市民団体「田園調布九条の会」の酒井正嘉(まさよし)
「生きるも死ぬも運、そういう時代やった」と戦争体験を振り返る中村仁一さん。戦後は家島でクリーニング店を開業し、2~3年前まで営んでいた=姫路市家島町真浦 1937(昭和12)年7月7日、中国・北京郊外で起きた「盧溝橋(ろこうきょう)事件」により日中戦争が始まって80年。中国東北部の旧満州国に出兵した姫路市の中村仁一(にいち)さん(100)は、戦線が拡大して泥沼化し、太平洋戦争へとつながっていく過程を今も証言できる数少ない一人だ。断片的だが鮮明に残る記憶をゆっくりとたどりながら、「無謀な戦いだと当時から分かっていた」と繰り返す。(小川 晶) ロシア革命が起こり、第1次世界大戦で米国がドイツに宣戦布告した1917(大正6)年生まれ。「原爆詩集」を著した詩人の峠三吉や、戦没したプロ野球の名投手、沢村栄治が同年に生を受けている。 家島本島(現・姫路市)で育ち、尋常小学校6年間の課程を終えると京都の
労働者に原資がないのに最初からインフレを煽ったり、食料自給率も上げずに営農者に市場競争を強要したり、現政権は物事の順序というものを全く理解していない。武器弾薬も持たない兵士に敵軍と対峙せよと言っているようなもの。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く