2015年7月15日のブックマーク (1件)

  • 植民地解放闘争を矮小化する戦略

    賛否両論が分かれるだ。賛成・支持する論者の中に、日の道義的責任を果たすべきという論者と、「慰安婦」問題などなかった、日に責任はないという論者の両方が含まれ、奇妙な同床異夢状態ができあがっている。批判する論者も一様ではない。その意味で「問題提起」的な著作である。 書評の難しいだ。「慰安婦」問題でねじれた日韓関係をさらにねじれさせるために書かれたとしか思えない。加害国側の日男性である評者が、被害国側の韓国女性の書を批判しても、ねじれが解消するどころか、いっそうこじれるだけで生産的でない。それでも書評をする理由は、日側の事情の変化にある。第一に、二〇一四年八月の朝日新聞記事訂正に始まる一連の狂騒によって「慰安婦」問題をめぐる議論が混迷を深めているからである。第二に、一部とはいえ書礼賛が常軌を逸しているからである。 日側の事情が変更になったから書評をするというのも奇妙な話だ。しか

    Arisan
    Arisan 2015/07/15