都心部から市の玄関口となる町田駅にアクセスするには、新宿駅から小田急線を利用することになる。その場合も、一度は川崎市を通る。こうした地勢的な面から、長らく「町田は神奈川」と揶揄されてきた。 実際、かつて町田市域が「町」だったときに属していた南多摩郡は、北多摩郡・西多摩郡とともに1893年まで神奈川県に属していた。「町田は神奈川」は、あながち間違いではない。 町田が東京府に移管された理由 神奈川県だった町田が、東京府に移管された理由はいくつかある。複数ある理由のうち、決定的だったのが水源問題と自由民権運動への対応だった。 東京府が誕生する以前、江戸市中の飲用水は玉川上水から供給されていた。1653年に開削工事が始められた玉川上水は、明治になっても帝都・東京に欠かせない水源だった。人が生きるために欠かせない水を供給する玉川上水は、江戸幕府にとって死守しなければならない。まさに、生命線だった。