イギリス領インド植民地史研究においては、18世紀後半から19世紀前半にかけて、現地の商業文化への参入を前提とする多元的な海洋帝国から、植民地政府を頂点とする一元的な領土帝国への転換が起こり、それに伴って植民地統治がより専制的になったと指摘されている。とりわけ植民地法制史の研究者は、この領土拡張に伴う専制化の一因として、征服戦争という緊急事態における例外的措置が、戦後に規範化されて平時の体制に持ち越されるという現象が見られたことを指摘することで、この問題に新たな研究視角を与えている。しかし既存の研究は、抽象的な国家論に言及したり人種偏見が背景にあったと指摘したりするのみで、例外状態が平常化・制度化された具体的なメカニズムについて十分な地域史的検討を行っていない。本稿はこれについて、インド人によるイギリス司法制度の積極的な利用を背景とする1820年代ボンベイにおける政府と裁判所の管轄権対立と、