朝6時に目が覚めたので溜まっていた洗濯物を洗濯して干した。 今日届く予定だった服が早々に届いた。 そのあと喫茶店に行ってモーニングを食べた。おいしかった。 モーニングを食べ終わったら趣味の集まりに参加してグダグダと話して盛り上がった。 それが終わったら昼寝してから洗濯物を取り込んだ。乾いててよかった。 届いた服を着てみたらサイズぴったりだった。 それから銭湯に行って温泉とサウナに入ってきた。 家に帰ってフルーツ牛乳とガリガリ君を食べた。 文句ない一日だった、こんな日常がずっと続いたらいいのに。
わたし女だけどこいつペニス出てんな〜と気づいただけで「こいつ嫌!」「人扱いされてない、マンコ扱いされてる!」とはならんよ。 ペニス見えてるけど、一所懸命真摯に紳士を演じようとしてくれてるなー。とか、顔やおっぱいや若さ以外も見てくれてるなー。と思える期間がある程度あったら、そろそろこちらもヴァギナを出そうかなと思うよ。 「人として慕ってる」という要素が最初にわかるのが大事。(人柄の)こういうところが好き、とか、一緒にいると楽しい、というのを言葉にしてくれると、多少デレデレされても気持ち悪くない。なんなら「可愛いな」って思う。 そのやりとりが普通になった後なら、ペニ出し増田が言うような「かわいい」とか「顔がタイプ」とか言われても喜ばしく受け入れられた。 てか、実際男性とこういうやりとりがあって、最終的にわたしの方から「実際どう思ってんの?わたしのこと好きなの?女として見てるの?付き合わなくてい
オードリー若林正恭の名言 「人見知りを直せる場所は日本でガールズバーしかない」 をご存知でしょうか。年下の女性とコミュニケーションを取れる状況が簡単に生まれ、テーブルを挟むからちょうどいい距離感で話ができ、キャバクラほどの接待感もなく、しかも短時間で終わる。ガールズバーは人見知りにとって最高のホスピタルらしい。 「欲怪童・殺滅(ほっかいどう・さっぽろ)」というイカれた街に住んでる人間として、違法か合法か分からんガールズバーに行った経験は何度もあります。 だが、あくまで友達と何軒もハシゴした後の酔い狂って頭バグった状態でしか行ったことがないし、話した内容なんざほぼ覚えてない。人見知りが直った気配は1ミリもありませんでした。 しかし、数日後に初対面の女性と大きな仕事をすることになり、早急に人見知り、シャイを直しコミュ力を鍛えねばならなくなったのです。 ということで先日行ってきました、人生初の「
大学に入った途端周りの人たちがやたらセックスし始めたり、未成年なのにタバコや酒をやったり、バイトのこと「仕事」とか言って授業サボったり、ブランド物を身につけたり、入学して10ヶ月だけど “大学生特有のソレ” に未だについていけない。 大学入学と同時にみんなギア上げすぎじゃない? そういう人達にマウントをとられることがよくあるけど、自分もどこかで変わらないといけないのかなぁ。 大人になるってこういうことなの? 教えて識者。
高校時代からの腐れ縁。 クセが強いほうの人間ではあったけど面白い奴でもあったので友達は多かったし、妻子持ちとなった同級生とも30歳過ぎでも結構つながっていられてた。 でも33歳で気が狂ったのかってくらい有害になったので、つい最近、既婚組からは完全に縁を切られた。 縁切りを決意した既婚組たちから「これから集まりあるとき、あいつがいる場合はもう呼ばないでくれ」と相談を受けた時に俺は延々と理由を聞かされた。 ・予定があるからと遊びの誘いを断ると 「あーダメダメ、そういうの受け付けてないので(笑)」 妻子で出かける予定があるんだよ、と行けない理由を具体的に告げると 「OK、わかった。何時にどこ集合?(笑)」 1ヵ月前にでも誘ってくれたら頑張って空けとくからまた今度でほんと頼む 「お父さん!!俺だって〇〇家の人間なんだから仲間外れにしないでくれよ~!(笑)」 ……という感じで何往復かするまで引き下が
とても面白い記事を読んだ。 元妻や内縁妻たちは次々と去っていき…認知症になった「神の手」天才ドクターがたどった、「悲惨すぎる末路」 内容を簡単に述べると、メチャクチャ手術が上手でそのお陰で社会的な名声も得ていたイケイケDr.が、歳を重ねて能力が低下し、認知症にもなって周りから誰もいなくなっていったというお話である。 個人的には存じ上げない先生なので、この記事に書かれている事が本当なのかどうかは知らないし、まあ勝ち組が負け組に転落する事に痛快な気分を感じさせるためのインターネット上のフィクションの可能性もあるかなぁとは思うものの、それでもなんていうか妙にリアルである。 自分自身の身の回りにも、イケイケな自分だけが良ければそれで全部ヨシな態度を取っている人間はそこそこいる。 皆さんにも思い当たる人間が一人や二人はいるはずだ。 僕は昔からこういうタイプの人間が好きになれなかった。それこそ何度も「
中々眠れずにそんなことを考えていました。 そして、結論が出たのでここに残しておこうかなと思います。 前提前提として過去に戻る際、今の記憶は引き継がれないこととします。 つまり、自分の意思決定は全く同じ状況化にある場合、毎回同じ結果になるのではないか?ということを考えていたわけです。 ===== 自分の半生まず自分の半生を見直してみました。 中学時代にプログラマに憧れ、高校は情報系の商業高校を選択しました。 そのために中3から塾に通い猛勉強をしてなんとか入学できました。 高校時代は非常に怠惰で、自主勉強はせずゲームばかりをする日々でした。 ですが、情報系の授業は非常に大好きで部活もその手の部活を選択していたこともあり5教科はギリギリ赤点を逃れるレベル、情報系の教科は毎回90点台という塩梅でした。 その後、5教科の勉強はしたくないと思い専門学校に進学します。 意思決定のポイント長くなるので明文
年齢が上がるにつれて「友達づくり」は難しくなる…。写真はイメージ(PIXTA) 小学生の頃は「友達100人できるかな」なんて歌っていたのが、40歳を過ぎたら「あれ? 俺って友達一人もいなくない?」と愕然とする中年男性は少なくない。特に独身の場合は、家庭を持った友人とは疎遠になり、いつの間にか、話し相手がいるのは会社だけ、なんてことにもなりかねない。さらには「今さら友達づくり? 恥ずかしい」と男のプライドが邪魔をして、どんどん“ぼっち”になってくという悪循環に……。でも本音を言えば、「友達」が欲しくてたまらない! という人だっているだろう。じゃあ、どうすればいいのか。40代からの“友達のつくり方”を聞いてみた。 【データ】年齢によってまったく違う「孤独感」。1位となった年代は? * * * 「別府の良い温泉を教えろ」「彼氏に浮気された」などのメッセージが寄せられ、よろず相談室と化している
俳優・歌手活動を中心に活躍する鞘師里保(さやし・りほ)さんは、2015年に人気絶頂の中「モーニング娘。'15」を卒業。その後、芸能活動を休止し、ニューヨークへ留学を決めた。17歳という若さでの決断に、周囲やファンからは「早すぎる」「もったいない」と惜しむ声もあった。 慣例や周囲の声にとらわれず、10代のうちに自分の「進路」を決断してきた鞘師さん。そこに迷いやプレッシャーを感じたことはあったのだろうか。 キャリア選択において、そのタイミングは人それぞれだ。しかし、やりたいことを見つけたとしても、タイミングによっては「年齢的にまだ早いんじゃないか」「その年齢ではもう遅い」と周囲に言われることも少なくないのではないだろうか。また、「就職したら3年は同じ職場で働くべき」「転職するなら◯歳までに」など、年齢や期間の「〜すべき」といった通説から、決断をためらう人もいるだろう。 鞘師里保さんは、12歳で
https://anond.hatelabo.jp/20170828205222 あれから5年だ 滑るように時が経った 結局のところ、どんなに人と触れ合っても何の意味もなかった 本当の意味で他人に興味を持つことができなかった 相手を見ているようで、自分をその先に見ているだけだった 相手を思いやっているようで、その実は自分がどう見られているかを気にしているだけだった 相手に尽くしているようで、自分の思う通りにしていたいだけだった だから、だからだ 最後の最後になって、こんな所まで来て、私の所には何も残らなかった 私はきっと、死ぬまで独りぼっちだ 他者と、本当の意味で関わる/交わることのない人生を送るのだ 他人のために真剣になれない 「それぞれの人生でしょ」と思ってしまう 他人と本音で向き合おうと思えない 「もし自分の思いが否定されたら」と怖くなってしまう 他人と人生を共に歩もうとは思えない
不安があると、無意識のうちにその不安から逃げようとして、ダラダラと無駄に時間を過ごしてしまったり、ついつい夜更かししてしまって睡眠の質が悪くなったりする。 そうすると、仕事も勉強も趣味も質が低下し、人生全体の質が低下してしまう。 この問題を解決するには、不安をなくし、満ち足りた気持ちになればいい。 基本的には、以下をやると効果がある。 (1)自分の奥の方に隠れている自分を表に引きずり出す。 (2)引きずり出した自分を身体を使って表現する。 …… と言うだけでは抽象的過ぎて良くわからないと思うので、 それらを実行するための具体的な方法を8つ紹介する。 これら以外の方法を知っている方は、コメントで教えていただけると嬉しい。 (1)歌ういつ歌っても効果があるのだが、 特に寝る30分~1時間ぐらい前に歌うといい感じになることが多い。 1~2曲歌うだけでいいので時間もたいしてかからない。 不安がある
小学生のころ、高学歴の芸能人に憧れて「自分もよい大学入って楽しい人生を送りたい」と思うようになった。 親に頼んで近辺で最も偏差値の高い中高一貫を目指すこととなり、無事に合格した。 中学では、遊びまくってしまい、下から数えた方が早いくらいの成績だったが、高校3年間でメンタルの不調に苦しみながらも「これを乗り切れば楽しい大学生活が待ってる」と信じて何とか頑張って無事第一志望の大学に入学した。 大学では、アニメ系のサークルに入り、みんなで楽しくアニメを見たり、声優さんやアニソン歌手のライブに行ったり、サークル活動をしたり、バーチャルYouTuberの配信で爆笑したり自分の思い描いていたとても楽しい大学生活を送った。 大学は無事に卒業し、 大学院は修論で苦しむも「出せば卒業できる」の精神で何とか修了した。 就活も学歴パンチである程度の企業には入り、そこでそこそこの生活ができればいいと思っていた。
私のライフワークのひとつは、オタクの社会適応について考えることでした。今でも「キモオタ」といった言葉が残っているとおり、かつてオタクは、社会不適応の象徴のように語られていました。 実際問題として、世間のほとんどの人が関心を寄せない子ども向けアニメやら特殊機械やらに時間・お金・アテンションなどを集中させれば集中させるほど、そのオタクは世間からズレていってしまいます。もともと性格的に世間からズレている人が、世間をまったく顧みず、あらゆるリソースを自分の趣味領域になげうてば、社会不適応者のような姿になったり、コミュニケーションの技能がぜんぜん身につかないまま年を取っていくことはあり得たでしょう。たとえそうすることで、どうにか生きていけたのだとしても。 ところで、オタクっていつまでも続けていられるものなのでしょうか。 思春期にアニメにハマった・徹夜でオンラインゲームを遊びぬいた・夏と冬には頑張って
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