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2008年12月23日のブックマーク (4件)

  • “ロケーションフリー”サービスをめぐる判断のギャップ。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

    先日ちらっとご紹介していた、「まねきTV」の知財高裁判決。 放送局側の請求が棄却された、という結論自体に変わりはないのだが、仮処分から地裁判決までの判示とは微妙にトーンが変わっている印象も受ける。 いずれもっと丁寧な分析を誰かがしてくれるだろう、と信じて、ここでは寝かせていた他の“ロケフリ”事例と合わせて、ざっと見の印象で片付けてみることにしたい。 知財高判平成20年12月15日(H20(ネ)第10059号)*1 控訴人(原告) :日放送協会ほか民放5社 被控訴人(被告):株式会社永野商店 これまでにも様々なところで取り上げられてきたと思うが、件は、放送事業者である原告(控訴人)らが、 「まねきTV」という名称で、被控訴人(永野商店)と契約を締結した者がインターネット回線を通じてテレビ番組を視聴することができるようにするサービス」 が、「(1)控訴人らが放送事業者として有する送信可能化

    “ロケーションフリー”サービスをめぐる判断のギャップ。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/12/23
    まねきTV事件、見苦しいだけかと思っていたら意外と控訴審、やった価値はあったという見解。
  • asahi.com(朝日新聞社):「高校英語、英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案 - 社会

    「高校英語英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案2008年12月22日22時1分印刷ソーシャルブックマーク 文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基」と明記し、教える英単語数も4割増とする。理数でも前回抜いた項目を復活。卒業必要単位数を74のままとしつつ、全体で学力向上を目指す内容だ。義務教育の学習が不十分であれば、改めて高校で学び直すことも初めて盛り込んだ。 高校の指導要領改訂は03年度以来10年ぶり。理数は前倒しで12年度から実施する。文科省は同日、特別支援学校の指導要領改訂案も発表した。 高校の改訂案は英語で教える標準的な単語数を1300語から1800語に増加。同様に増える中学とあわせて3千語とした。中高で2400語だった前回改訂の前をさらに上回り、「中国韓国教育基準並みになる」という。 その上で「授

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/12/23
    高校での授業に対応するためには、中学教師の自覚も必要だな。/別に基準を米英語や英英語に求める必要はないよ。Janglish大いに結構。それでもその後英英語や米英語を覚える障壁は減る。
  • asahi.com(朝日新聞社):英語で授業…「正直、無理」 高いハードルに先生困った - 社会

    英語で授業…「正直、無理」 高いハードルに先生困った(1/3ページ)2008年12月23日9時4分印刷ソーシャルブックマーク 東京都立国際高校の「総合英語」の授業。ほとんど英語だけで進められる=東京都目黒区英語の授業は英語で行うことを基に」。22日公表された、13年度からの高校学習指導要領改訂案でこんな方針が示された。文科省は「難しい内容は日語でもいい」「生徒の理解に応じて配慮を」と言うが、それでもハードルは高い。学校現場でうまく生かせるのだろうか。 「What was Matilda’s wish?」(マチルダの願いは何でしたか)「To live with Miss Honey」(ミス・ハニーと一緒に暮らすことです) 東京都目黒区にある、都立国際高校の1年生「総合英語」。児童文学に沿って英語だけのやりとりが続く。文中の「will」の意味を教員が尋ねると、すぐ「遺言です」と答えが返

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/12/23
    やらないと言っていてはいつまでも始まらない。30年続ければ問題なくなる。
  • 日本の外国文学研究が滅びるとき - 内田樹の研究室

    水村美苗さんの話題作『日語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を鹿児島への機内で読了。 まことに肺腑を抉られるような慨世の書である。 『街場の教育論』で論じた日教育についての考えと通じるところもあり、また今書いている『日辺境論』の骨格である、日はユーラシア大陸の辺境という地政学的に特権的な状況ゆえに「政治的・文化的鎖国」を享受しえた(これは慶賀すべきことである)という考え方にも深いところでは通じているように思う。 とりわけ、「あらまあ」と感動したのは、「アメリカの植民地になった日」についての考察である。 明治維新のときに欧米帝国主義国家がクリミア戦争や南北戦争や普仏戦争で疲弊していなければ日は欧米の植民地になっていただろうということを言うひとは少なくないが、「植民地になって150年後の日」についてまで SF 的想像をめぐらせた人は水村さんをもって嚆矢とするのではないか。 「たと

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/12/23
    lingua francaということは、つまりこういうことなのだよなあと。ブコメの中には批判的否定的なものもあるが、lingua francaとしての日本語が、どれだけの土着日本語を押しつぶしたかということを考えると無碍にはできない。