開智学校は、藩校崇教館から明治維新による松本藩学、廃藩置県による筑摩県学と続いてきた県下第一の小学校で[2]、学制による第二大学区筑摩県管下第一中学区の第一番小学開智学校として1873年(明治6年)5月6日に創立された[1]。 「開智」の校名は、学制発布の前日に公布された太政官布告の被仰出書の文中にある「其身を修め智を開き才芸を長ずるは、学にあらざれば能わず」に由来すると考えられている[1][2]。 県の学校では唯一、英学(洋学)が設置された[1][2]。 開智学校は当初は廃仏毀釈で廃寺となった旧藩主戸田氏の菩提寺全久院の建物を仮校舎としていた[1][2][9]。 その後、1876年(明治9年)4月に全久院跡地に新規造営となった校舎が、現存する旧開智学校校舎である[1]。 この校舎は筑摩県権令・永山盛輝の主導で建設されたもので[1][5]、永山は自ら工事現場に出て監督を務めたと伝えられてい