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ブックマーク / www.mizue338.net (2)

  • 織田信長の性格は、民衆にはやさしかった! - みずおのアレコレ話

    比叡山延暦寺の焼き討ちで3千人あまりの僧俗を殺戮して、願寺一向一揆に対しては10万に近い門徒の命を、信長は奪っています。 家臣に対する処罰も苛烈きわまりないものでした。 いつしか「第六天の魔王」と信長は、内からも外からもよばれ、恐れられるようになりました。 戦国時代の君臣関係は、対等に近かった 戦国時代の君臣関係は江戸時代と違い、対等に近いものでした。主君と家臣の力関係によっては、家臣が主君を怒鳴りちらすこともありました。 武田信玄や上杉謙信でさえも、当主になって間もないころは、家臣が言うことを聞かなかったり、家臣同士で争うことに嫌気がさし、やけ酒を飲んだと伝えられています。 上杉謙信は、やけ酒だけでは収まらず、京都へ逃げ出すほどでした。隠居して僧になる、と駄々をこね、重臣がなだめて越後へ連れ戻したのです。 豪族の長の集まりである家臣団を一致団結させるのは、なかなか骨が折れる行為だったの

    BunRyu555
    BunRyu555 2017/02/02
  • 戦で負けた徳川家康は、逃げながら脱糞した!? - みずおのアレコレ話

    戦国武将のなかでも、逃げながらウンコをもらしたのは徳川家康ぐらいなものでしょう。 「三方ヶ原の戦い」で武田信玄の軍に大敗して、逃走中に馬に乗りながら脱糞してしまったのです。それほどの恐怖だったのです。 家来に指摘された家康は、 「これは腰につけてた焼き味噌じゃ!」 と言い訳しましたが、においでバレました。 ずいぶん不名誉なエピソードをもつ家康ですが、それでも後に天下をとり、江戸時代265年間の礎を築いた英傑です。このときの経験が家康を大きく成長させました。 どうしてバレたのか? でも、どうして、もらしたことがバレたのか不思議です。馬の鞍にウンコがあったのですが、袴(はかま)をはいているのに、どうしてそうなったのか疑問が残ります。 そのため、このエピソードはウソだと思っていました。武田軍に負けた家康の怯えた状況を、面白おかしくするためにできた、作り話のような気がしていました。 しかし、ネット

    戦で負けた徳川家康は、逃げながら脱糞した!? - みずおのアレコレ話
    BunRyu555
    BunRyu555 2017/01/17
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