2015年8月7日のブックマーク (4件)

  • 同窓会大量殺人未遂事件

    [ 事件 index / 無限回廊 top page ] 同窓会大量殺人未遂事件 1991年(平成3年)1月2日午後5時、佐賀県佐賀市の旅館で同窓会が開かれた。同窓生40数人、恩師5人が参加。地元中学の卒業生が12年ぶりに再会した。同窓生は昔話に花を咲かせ、酒も進み、盛り上がった。 しかし、ひとつだけ気になる点があった。不思議なことにその宴会場には、自ら幹事を申し出た赤沢俊一(仮名/当時27歳)の姿がなかった。この欠席については「会社の用事で急に来られなくなった」と聞き、「来られなくて残念だったね」とみんなで言っていたくらいで、誰も不審に思う者はいなかった。 翌3日、同窓会の出席者は新聞の社会面を大きく飾った見出しに愕然とする。 「同窓会大量殺人計画!?」 ヒ素入りビールと爆弾・・・ この事件の犯人こそ同窓会を企画した赤沢だった。 事件が発覚したのは赤沢の母親からの通報だった。同窓会が開か

    CIA1942
    CIA1942 2015/08/07
    勿論犯罪による報復を肯定はしない。が、このような犯罪を計画するに至るだけの感情は察するにあまりある。「いじめ」という名の小社会内集団犯罪において、加害者は被害者の抱く感情に対して信じがたいほど鈍感だ。
  • 「ちょっといい話」としてのイジメ:日経ビジネスオンライン

    いじめの話題は扱いにくい。 このことは、原稿を書いて読み返す度に、いつも思い知らされる。理由は「いじめ」という単語にやっかいな多義性が宿っているからだと思う。 いじめは、辞書的な意味では、「自分より弱い立場にある者を、肉体的・精神的に苦しめること」(大辞林)ぐらいになる。私たちが「いじめ」という言葉に抱くイメージは、もう少し複雑だ。というよりも、いじめ被害者(またはその経験者)と、いじめ加害者(および傍観者)では、同じ言葉を通して思い浮かべる景色がかなり違っている。 だから、この言葉を痛みを伴った感情とともに思い浮かべる人々と、そうでない人々の間では、話が噛み合わない。 実例を見てみよう。紹介するのは、自民党選出の参議院議員、中川雅治氏の公式ホームページに掲載されていた文章だ。 「掲載されていた」と、過去形を使ったのは、当該のホームページが既に消滅しているからだ。 ホームページの中の「教育

    「ちょっといい話」としてのイジメ:日経ビジネスオンライン
    CIA1942
    CIA1942 2015/08/07
    明らかなのは「やる側はやられる側の気持ちを一切考えていない」ことで、陰湿か否かのラベルを貼るのは常に「やる側」であり「圧倒的多数側」だということ。故に「やられる側」は決して救われない。
  • 英国政治に嵐の予兆?:「Mr.マルキスト」が労働党首候補NO.1に(ブレイディみかこ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    5月の英国総選挙で大敗した労働党が、えらいことになっている。 党首選で「絶対勝つわけがない」イロモノ候補者の筈だった66歳のジェレミー・コービンが、「このままでは勝ってしまう」状況だからだ。 彼は絶滅寸前だった労働党内左派の代表で、「極左」または「マルクス主義者の爺さん」と呼ばれる人である。しかも、オフィシャルに「最も経費を使わない国会議員」になったことがある人で、その生真面目さでさえ現代社会では「クリーン」ではなく「貧乏くさい」と笑われてきた。 巧みなPR、ルックス、若々しさ、セレブっぽいライフスタイル。トニー・ブレア以降、英国の政治指導者には必須であると言われた華々しい要素をコービンは何ひとつ持っていない。むしろ、そのアンチテーゼのような人だ。 大政党の党首候補なのにナイトバスに乗って帰宅するコービン。こういう人が「公共投資拡大」だの「計画経済」だの、まるで終戦直後の労働党のような社会

    英国政治に嵐の予兆?:「Mr.マルキスト」が労働党首候補NO.1に(ブレイディみかこ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    CIA1942
    CIA1942 2015/08/07
    「「新自由主義の成れの果て+緊縮」のノー・フューチャーな時代を生きる若者」だけを見ると日本も他人事ではない気がする。「共産党くらいしか受け皿がない」から日本じゃ目立たないだけなのかもしれない。
  • 【主張】高校野球100年 日本の夏の文化を次代へ(1/2ページ)

    歴史の重さに、改めて思いをいたす。 1915(大正4)年8月、大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開催された。全国高校野球選手権大会の前身である。100年の歴史を経て、日の夏に欠かせぬ文化として定着した。 技術を上回る全力プレーや、勝利のための自己犠牲、敢闘精神がドラマを生み、汗と涙と泥まみれのユニホームが見る人の心を揺さぶってきた。「夏の甲子園」を今後も楽しめる社会や時代でありたい。 100年の節目の大会が「第97回」なのは、戦争による中断があったためだ。この間、沢村栄治(京都商-巨人)、吉原正喜(熊工-巨人)、嶋清一(和歌山・海草中-明大)ら、多くの元球児も戦死した。 毎年、甲子園では「8月15日正午」に試合を中断し、戦争の犠牲者に黙祷(もくとう)する。現役球児には先輩らの死を悼み、今、野球ができる喜びをかみしめてもらいたい。 今年の開会式は70年前、広島に原爆が投下さ

    【主張】高校野球100年 日本の夏の文化を次代へ(1/2ページ)
    CIA1942
    CIA1942 2015/08/07
    あれ、朝日新聞批判するかと思ったのに/試合やる側の健康のために改革は不可避だと思うので、とってつけたような形じゃなくそっちにもっと紙面を割いて欲しい。