三木鉄道廃止後の沿線活性化に向けて話し合う「跡地等利用検討協議会」の初会合が三十一日夜、市役所であった。全委員二十一人が出席し、会長に神戸芸術工科大学の川北健雄教授(建築計画・コミュニティーデザイン)を選出。既存施設や跡地の活用について、意見を交わした。(佐伯竜一) 集まったのは、十八歳以上の沿線住民や団体代表、昨秋公募された市民ら。公募には十一人が応じ、作文などで六人が選ばれた。 事務局の市側が、会長に川北教授、副会長に三木商工会議所の稲田三郎副会頭を指名し、満場一致で承認。続いて四月に先進地視察と二回目の会合、六、八、十月に三-五回目の会合を開く日程の説明があった。 その後は七人ずつの三グループに分かれ、廃止後についての考えを述べた。 施設活用案では、鉄道復活も視野に入れて線路を保存し、トロッコなどを走らせる▽駅舎を中心にロケ地として売り出す▽沿線に菜の花を植えて駅舎を菜種油の精製所に
赤城南麓(なんろく)の田園地帯を2両編成の電車がのんびり走る上毛電鉄。起点の中央前橋駅から8つ目の大胡(おおご)駅には、木造の小さな駅舎や変電所、車両検査などを行う検車庫が並ぶ。いずれも昭和3年の開業当初に建てられたもので、昨年7月に国の有形文化財に登録された。 ■動画はこちら(MSNビデオ) 特に、変電所には、交流電気を直流に変換するスイス製の「水銀整流器」が導入されており、当時、全国でも数台しかなかった貴重な最新鋭機器だった。このため、堅固な構造で保守する必要があったといい、同電鉄の柴野孝司取締役(62)は「鉄筋コンクリート製で、昭和初期にしては立派すぎる頑丈な造り」と話す。 総延長25.4キロ(23駅)のローカル私鉄の大胡駅に、最新鋭機器を導入した立派な変電所が建設されたのは、開業当時、埼玉と群馬をつなぐ一大ターミナルにする構想があったためだ。 「陸の孤島」と呼ばれた赤城南麓地域に開
ぷらっと沿線紀行(38) 徳島発高松行きのJR高徳線の特急「うずしお16号」は、讃岐山脈越えにかかった。夕暮れのJR引田駅。徳島行きの気動車が煙を上げて走り出した早朝の安戸池。釣り人の周りを海鳥が飛び回り、水門の向こうに広がる瀬戸内海に松島が浮かんでいた=いずれも香川県東かがわ市引田で沿線の畑には所々に刈り取られたサトウキビの葉が積まれていた=香川県東かがわ市南野で赤壁が印象的な「かめびし」=香川県東かがわ市引田で高徳線を走行するN2000系(JR四国提供) 源平合戦の折、屋島攻略を目指す源義経が越えたという大坂峠のふもと、11個目のトンネルを抜け、香川県東かがわ市に入ると急に視界が開けた。沿線の畑のそこかしこに、細長い枯れ葉が積み上げられている。サトウキビを収穫した跡だ。ほどなく列車は引田(ひけた)駅に着いた。 高松藩の5代藩主・松平頼恭(よりたか)は、産業振興のため、薬園掛
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