2010年01月12日10:00 カテゴリ 「龍馬伝」 千葉さなこ(佐那)は千住に住んでいた 千葉さなこが世に知られるようになったのは、司馬遼太郎の随筆「千葉の灸」による。 剣客だった千葉周作の弟・定吉の娘で、色白の美人で剣術も強く「鬼小町」と呼ばれていたという。 定吉が京橋・桶町に構えていた道場で、坂本龍馬は塾頭を務めていた。さな子は恋心を打ち明けたが、すでに妻おりょうがいた龍馬は遠まわしに断り、着ていた着物の袖を渡して江戸を発ったという。 さな子はその片袖を大切にし、生涯独身だったといわれている。 ただ二人の関係については諸説あり、龍馬が実家に宛てた手紙に「さな子を好いてることが綴られていた」「許嫁の約束を交わしたいた」などの話もある。 明治29年、59歳で病死。台東区谷中の墓地に葬られ無縁仏になるところだったが、懇意にしていた自由民権運動家・小田切謙明の妻・豊次が分骨して小田切家菩