中国・東莞で「宏得電子有限公司」を創業した新谷幸浩さんが初めて中国を訪れたのは、1984年のことだった。電子メーカーS社の香港工場の設立・オペレーションのために深センに派遣されてきた時だ。まだまだ中国という国がどうなっていくのか、予測もつかなかった時期だ。 私も当時訪問して痛感したが、中国全土が限りなく貧しかった。 鄧小平国家主席の「改革開放」「社会主義市場経済」という大改革が軌道に乗り始めた時期ではあるが、中国の人々の意識は、あまり変わったようには見えなかった。どこに行くにも「案内人」という名前の監視員がついて歩き、ホテルの出入口にホテル付の監視員がいるのは当然だが、各階の廊下の端っこに「おばちゃん」が座っていて、各部屋の人の出入りをきっちり監視していた。そのくせ夜になると、必ず女性のマッサージ師が呼びもしないのに押しかけてきた。 歩いている人々はいわゆる人民服ばかりだった。また道路は大
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