はじめまして、内田樹です。 メールありがとうございます。 新潮社の友人たちからいろいろと内情は伺っております。 「新潮45」にも三重さんが編集長をしているころは何度か寄稿させて頂きましたので、愛着のある雑誌です。休刊ということになったのは僕も残念です。 このような事態に立ち至った責任はもちろん編集者にあります。 このような局面で、ほんらいならば公的なかたちで、その執筆意図について説明責任を果たし、批判に対して反論するなり、あるいは事実誤認について謝罪するなりして、「新潮45」とともに批判の前面に立つべきときにそれを怠って雲隠れするような人物に寄稿を依頼し、あまつさえ擁護の論陣を張ったという編集者の判断の致命的なミスの「つけ」を新潮社が払ったということだと思います。 出版の社会的使命は何か、それぞれの媒体はどのようなメッセージを、どのような文体において発信すべきか、その企図をどのような人物に
以前にもブログに掲載した旧稿だけれど、『新潮45』の休刊という事件を迎えて、改めて「言論の自由」についての私見を明らかにしておきたいと思って再録。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。政治的意見にしても、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口真似する」というかたちで自分の意見を表明することができた。それらのセンテンスはほぼ同じ構文で書かれ、ほぼ同じ語彙を共有しており、ほぼ同じ論理に従い、未来予測や事実評価にずれはあっても、事実関係そのものを争うことはまずなかった。それだけ言説統制が強かったというふうにも言えるし、それだけ対話的環境が整っていたとも言える。 もの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く