頼朝の遺骨が埋葬された法華堂跡に建てられた神社です。生前、頼朝が乳母からもらった観音像を祀った持仏堂が建てられ、死後はその遺骨が埋葬されて法華堂となりました。頼朝の墓所ということで誰も手を出せないことから、頼朝死後の内紛に際してはたびたび一族の避難場所となったが、宝治元年(一二四七)、執権北条氏に対して反旗を翻した三浦一族が立て籠もり、一族と家臣ら五〇〇余名がここで自刃しました。鎌倉武士にとっては一種の聖地となっていたようです。明治維新後の廃仏毀釈・神仏分離令によって法華堂は取り壊され、新たに源頼朝を祭神とする白旗神社が創建されて現在に至ります。 では頼朝の骨がここの地下に眠っているのではと思われるかもしれませんが、この法華堂は鎌倉時代以降何度も再建され、その過程で地面もかなり削られたようです。江戸時代に削られた影響か、昭和四十年代の発掘では中世の遺構は発見されませんでした。(河野眞知郎「