現在、九州国立博物館で行われている「三国志展」 sangokushi2019.exhibit.jp その展示に「毋丘倹紀功碑」というものがあり、その解説に「魏の将軍の名は毌丘倹(かんきゅうけん)とされてきたが、近年の研究では毋丘倹(ぶきゅうけん)とされる。」とある。 図録によると、その研究とは田中俊明氏の「魏の東方計略をめぐる問題点」(『古代武器研究』九 古代武器研究会、2008)だそうだ。 辺境に島流しされている私は、残念ながらその論文を参照できる環境にないため、私なりにアプローチをしてみた。 結論から言うと、私も近年の研究同様、毋丘倹(ぶきゅうけん)とすべきかもしれないと思うため、本記事ではそう呼称することにする。 この画像は中国古代の印を集めた荘新興編「古鉨印精品集成」(上海古籍出版社、1998)に掲載されている。 毋丘倹ではないが、同じ姓の毋丘調という人の印である。 史書に記載はな