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ブックマーク / famicoms.net (2)

  • ファミコンのネタ!!/ファミコンで唯一正規販売されたインディーズゲームとは?

    海外 「なんで日人は家庭用機向けのインディーズゲーム作らないの?欧米にはたくさんあるのに」 (秒速ニューろぐ) という記事を読んで僕は、ファミコンで唯一正規販売ルートに乗ったインディーズゲームがあったことを思い出した。 その名は『クインティ』 1989年、ナムコより発売された『クインティ』はとあるインディーズ集団によって制作された。その中心人物こそポケモンの生みの親としてお馴染みの、株式会社ゲームフリーク社長、田尻智氏である。 ゲームフリークのオフィシャルサイトを見ると『クインティ』は作品リストの最初に出てきており、以下のような説明が添えられている。(以下引用) 自作の開発機材を使い3年をかけて制作した世界初のインディーズファミコンソフト。 「新しいアクションゲームとは、新しい動詞を考えること」という田尻独自のアイデア発想法を元に、「めくる」アクションを考案。 敵キャラクターの思考ルー

    ファミコンのネタ!!/ファミコンで唯一正規販売されたインディーズゲームとは?
  • 日本の行政はいまだに“ゲーム=ファミコン”だと思ってるらしい

    ファミコンブーム真っ只中の80年代後半の日において、ファミコンはまさに家庭用テレビゲーム機の代名詞だった。 ◆当時のゲーム屋事情◆ 当時のゲーム屋は「ファミコン」という看板さえ掲げておけば商売ができたのだ。それはスーパーファミコンが発売されても同じだった。ゲーム屋は相変わらず「ファミコン」の看板を掲げて何わぬ顔。スーパーファミコンだってファミコンじゃん。なにがいけなの。と言った調子だ。 さらに年月は経ち、セガサターン、プレイステーションが発売された。いわゆる次世代ゲーム機の時代に突入したのだ。しかしゲーム屋は「ファミコン」の看板をおろさない。べつに誰も困ってねえじゃん。と言った調子だった・・・・・・ ちょうどその時代(1994年頃からファミコン再評価時代に移るまでの数年間)はファミコン氷河期だった。誰もファミコンなんか見向きもしてなかったから、よくディスカウントショップのワゴンに11

    日本の行政はいまだに“ゲーム=ファミコン”だと思ってるらしい
    DRUMSCO
    DRUMSCO 2011/06/17
    ブラジルですらゲーム=メガドライブだというのに。
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