先日、むちゃくちゃな弾圧があったサウンド・デモの話なのだけれど、警察は、「円滑な交通」を口実にして「思想」や「表現」を取り締まる。裁判官は、実際のデモのようすがどうだったのかを知らず、知ろうともせず、警察の言い分を鵜呑みにして、不当な逮捕を見逃し、犠牲者に無実の罪を着せる。ぼくは日本の裁判官に、デモを見ていた市民の話を聞くことをお薦めしたい。 当日、ぼくはまったくデモに加わらず、終始一貫して歩道で取材をしていた。 異様な警備を見て、「今日、警察は何かやるつもりだな」と思い、その様子を目撃して、伝えたかったからだ。 しかし、ずっと歩道にいると、中から見ている景色とは違うものが見える。違う音が聞こえる。当日、ぼくが歩道から見たもの、聞いた音を紹介したい。 さて、なぜ、サウンド・デモが狙われるのか。サウンド・デモはうるさいから? 警察の指揮車からの放送の方がよっぽどうるさいし、客観的にも音量は大