太平洋戦争において初めて東京を爆撃したアメリカ陸軍のB-25爆撃機。それを可能にした優秀な性能を転用する形で、爆撃機から「襲撃機」に姿を変えたものも。なかには戦車砲まで搭載したモデルまでありました。 重機関銃8挺/毎分4000発以上の「銃弾のスコール」 第2次世界大戦中、アメリカ陸軍が使用したノースアメリカン社製のB-25「ミッチェル」双発爆撃機は、機体サイズの割に兵装搭載量が多く、頑丈で損傷に強く整備が容易、しかも短距離離着陸性能と飛行中の運動性能にも優れるという、いわば優秀機でした。 このような特性から、太平洋戦域の島嶼部をめぐる戦いでは、数多くの戦いに用いられました。 拡大画像 12.7mm重機関銃14挺と75mm砲を装備するB-25H。そのうち重機関銃8挺と75mm砲が機首に集中配置され、さらに上部の回転銃座にある2挺も前に向けることができた(画像:アメリカ陸軍)。 とはいえ日本の
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