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2019年6月16日のブックマーク (2件)

  • あの日見た父の表情の正体を、俺はまだ、うまく言葉にできない話。 - ほぼ日刊レトロゲームレイダース

    今週のお題「おとうさん」 「父の日」は「母の日」よりもずっと存在感が薄い。それはまるで、家庭におけるお母さんとお父さんの存在パワーバランスがそのまま影響しているかのようだ。少年時代の俺の家において、母の日は祝われる日、父の日は忘れられる日、だった。 あの日、父は何を考えていたのだろう 俺はフツウの家庭で育った、と思っていた。しかし、大人になってから子どもが思い描くフツウではなかったことが判明する。父は一度結婚に失敗していて。母は子ある人としていた不倫関係が崩壊し、心配した親戚によってセッティングされたお見合いで父と結婚していた。よくある話である。大人になって、なんだフツウの家庭だったんだと再理解した。 母は才女である。高校は地域一番の進学校に通い、そこで学年一位の成績保持者だった。「家にお金があれば大学に行けた」は母の口ぐせだ。しかし、戦争で夫を失い、親戚のいない土地で、女手1つで5人兄

    あの日見た父の表情の正体を、俺はまだ、うまく言葉にできない話。 - ほぼ日刊レトロゲームレイダース
  • 特攻を超える戦死率75%…その戦場を生き抜いた搭乗員は何を見たか(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

    1942年6月のミッドウェー海戦での敗戦により、日米の形勢が逆転して以降、日軍の拠点は次々と米軍に奪われていった。この猛攻をぎりぎりのところでくい止めていたのは、ソロモン諸島に展開する海軍航空部隊の搭乗員たちだった。 ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 この劣勢を逆転するため、1943年6月16日に決行され、のちに「ルンガ航空戦」と名付けられた総攻撃では、手痛い敗北を喫し、多くの腕のいいベテランパイロットを失う。 この一連の戦いを担った部隊は、のちに編成された特攻専門部隊よりはるかに多くの搭乗員が犠牲となった。彼らはそのなかで、何を見て、どう戦っていたのか? 太平洋戦争中期、昭和18(1943)年2月、日軍は約半年にわたって激しい攻防を続けていたソロモン諸島のガダルカナル島から撤退。連合軍はここを足がかりに、日軍の一大拠点であるニューブリテン島ラバウルを窺い、さ

    特攻を超える戦死率75%…その戦場を生き抜いた搭乗員は何を見たか(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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    Delete_All 2019/06/16
    読み応えのある記事だった。