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ブックマーク / zaikabou.hatenablog.com (4)

  • 埼玉県立近代美術館『戦後日本住宅伝説 - 挑発する家・内省する家 - 』 - 日毎に敵と懶惰に戦う

    久しぶりに埼玉県立近代美術館へ 日の展覧会は『戦後日住宅伝説 - 挑発する家・内省する家 - 』 2014.7.5 - 8.31 戦後日住宅伝説—挑発する家・内省する家 - 埼玉県立近代美術館 16人の建築家による、戦後(1953年から1978年まで)の名住宅を写真図面模型映像で、丁寧に紹介していく展覧会。丹下健三の、迎賓館の役割も果たしていたような立派な住居もあれば、わずか7坪の空間に5階建てを造り上げた狭小住宅、東孝光の『搭の家』もあるし 中銀カプセルタワービルのような空間もある。しかし、総じて、パーソナルな空間の作り方がどうあるべきか、建築家の哲学にひたすら向き合う展覧会だった。会場内、基的に撮影は禁止なのだけれど、丹下健三のそれ以外の各ブースには撮影可能な大判の写真が一枚あり、それは撮影することができる。この展覧会、自分はどの家に住みたいか、と考えながら見ていくと、自分のも

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    Delete_All 2014/07/21
    これは面白そう。夏休みに行けるといいなぁ。
  • 野島公園『旧伊藤博文金沢別邸』の居心地が良くて… - 日毎に敵と懶惰に戦う

    京急を金沢文庫で降りると、都心から近い住宅街になってはいるものの、どこかに漁港の雰囲気が残っている。日はこちらの神社の祭礼が多く行われているらしく、神社の前に神輿が並び、町内会のテントには子供がつくだ煮のようになっている。土地の結束の強さのようなものも、漁港以来の伝統か。古くは鎌倉時代から栄えた土地なわけですものね。徒歩15分、野島公園のある島に渡ると、船宿が沢山見えてくる 船宿が並ぶあたりを、海岸沿いに歩いて行くと野島公園。リア充な感じの若者たちがバーベキューの準備をしながら盛り上がっているのを横目にみつつ、わたくしの目的地はこちら 伊藤博文の、金沢別邸 旧伊藤博文金沢別邸公式サイト | 横浜市緑の協会 湘南の方の別荘というと、大磯の吉田茂や葉山などを思い浮かべますが、それ以前、明治期は富岡、金沢近傍が別荘地として栄えていたのですね。この伊藤博文の別邸も、明治31年、1898年に建てら

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    Delete_All 2011/07/11
    ウチからワリと近いところにこんな癒しスポットがあったなんて…
  • 炎天下50km、海を見に行く - 日毎に敵と懶惰に戦う

    昨日はちょっと活動的過ぎたので、きょうは朝から家で大人しくしていた。していたけれど、このよい天気、出掛けないと勿体ない。11時ごろに出掛けて、鎌倉街道を南下。今日はなんか、疲れているなあ。北鎌倉の駅の傍には祭礼の神輿が出ていて、みんな法被を引っ張り出してきますからね、樟脳の匂いが、あたりに充満しますよね。駅を過ぎて、ちょっとお寺に寄り道。中には入らないけどね とにかく暑い!のだけれど、比較的湿度が低いからだろうか、木陰に入ると、風があって涼しい。さらに、混雑する鶴岡八幡宮の横を抜けるのがいやだったので、亀ヶ谷の切通しを通り抜ける 車では通れない、この切通しは好きだなあ。木漏れ日、吹き抜ける風。生き返る。駅側に下りて 間違って小町通りに出てしまい、人の多さに辟易。昼飯にする…にも、どこも人だらけ。駅の裏側にでて、商店街の中にある、どさん子ラーメンで、味噌ラーメンべた。空いている店でしたが

    炎天下50km、海を見に行く - 日毎に敵と懶惰に戦う
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    Delete_All 2010/07/18
    そこは、裏、ではなく御成ですよ~。そこのどさん子ラーメンは僕の友人がやっています。
  • 『安全な』軍艦島への旅は、それでも行く価値がある - 日毎に敵と懶惰に戦う

    長崎の沖合いの島、端島。周囲1200mの小さな島。1810年に石炭が発見され、明治に入ってから格的に開抗されたこの島は、良質の石炭を産する島として海底炭鉱の開発がすすめられ、三菱石炭鉱業の主力炭鉱として栄えていた。小さな島は埋め立てによって次第に拡張され、来の島は現在の1/3ほどの面積だったという。それでも狭い島に大勢の人が働くために、鉄筋コンクリートの高層アパートが林立し、最盛期には5000人以上の人々が生活していた。 細長い狭い島に高層建築がひしめく異様な姿が、三菱造船長崎造船所で建造された戦艦『土佐』に似ていることから、軍艦島と呼ばれた端島。その島の炭鉱は1974年1月15日に閉山され、4月20日には無人島になった。多くの建物は取り壊されることもなく、往時の姿をとどめたまま次第に朽ち果てていく。いつしか、軍艦島は“廃墟の島”として好事家に知られる島になった。 NHKのドラマのロケ

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