人力による飛行を日本で初めて試みたのは、備前の表具師幸吉であったといわれる。それは、江戸時代のいくつかの文献で紹介されているが、いずれも噂話を書き留めた程度であり、全てが事実かどうかはわからない。 幸吉は江戸中期の人。備前児島郡八浜(現玉野市八浜)の櫻屋清兵衛の次男として生まれ、後に岡山の紙屋に移って表具を習う。 幸吉がいつどのようにして飛行に興味を持ったのかは明らかではないが、鳥を観察して飛行理論を組み立てたようである。 その理論は伝承によって若干の相違はあるものの、大体次のようなことである。 「様々な(あるいは一種類の)鳥の羽と胴の重さを計測し、その割合を導き出す。それを自分の体に当てはめて相当する翼を作れば、人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」。 自分の体に合う大きな翼を、熟達した表具師の技をもって制作した幸吉は、岡山城以外で一番高い京橋を実験場所に選んだ。しかし、何
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