【首都高の歴史】2007-07-26 首都高の歴史(1) 首都高はどうやって生まれたの? 今では通勤やレジャーなど関東近郊の人間には当たり前の存在となった首都高速道路。でも、誰がなんのために作ったんだろう?そこで今回は、首都高の歴史の第1回目として、構想段階から環状線+8路線が開通するまでの流れを追ってみよう。 首都高の計画はなんと戦前からあった!? 首都高速道路の構想は、大きく3つに分けられる。最初の構想は戦前の昭和13年、当時内務省都市計画東京地方委員会のメンバーだった山田正男氏(のちの第4代首都高速道路公団理事長)が立案している。同氏は「交通手段の中心が、近い将来鉄道から自動車に代わり、驚異的な発展をする」と予測。交通量増加への対策として高速道路網が必要と考えていた。驚くのは、当時の自動車保有台数はごく少なく、道路を走るクルマもまばらだった時代にこの構想が練られていたこと。さらに山