ブックマーク / smartshimbun.jp (2)

  • 首都高の歴史(1) 首都高はどうやって生まれたの? - 首都高スマート新聞

    【首都高の歴史】2007-07-26 首都高の歴史(1) 首都高はどうやって生まれたの? 今では通勤やレジャーなど関東近郊の人間には当たり前の存在となった首都高速道路。でも、誰がなんのために作ったんだろう?そこで今回は、首都高の歴史の第1回目として、構想段階から環状線+8路線が開通するまでの流れを追ってみよう。 首都高の計画はなんと戦前からあった!? 首都高速道路の構想は、大きく3つに分けられる。最初の構想は戦前の昭和13年、当時内務省都市計画東京地方委員会のメンバーだった山田正男氏(のちの第4代首都高速道路公団理事長)が立案している。同氏は「交通手段の中心が、近い将来鉄道から自動車に代わり、驚異的な発展をする」と予測。交通量増加への対策として高速道路網が必要と考えていた。驚くのは、当時の自動車保有台数はごく少なく、道路を走るクルマもまばらだった時代にこの構想が練られていたこと。さらに山

    DocSeri
    DocSeri 2010/01/20
    首都高ってオリンピック開催のためのインフラが端緒かと思ってたけど、計画承認は招致前だったのか。
  • 首都高メンテナンスミッション 〜重さ6トンの巨大門型標識柱を10分で設置せよ!〜(前編) - 首都高スマート新聞

    【エリア特集】2007-10-11 首都高メンテナンスミッション 〜重さ6トンの巨大門型標識柱を10分で設置せよ!〜(前編) 首都高のルート案内のメインともなる緑色の案内標識(看板)。これらはどのように設置されているかご存知だろうか?通行止めにして設置する? そんなことをしては大渋滞が起こってしまう。ではどうやるか?そこには多くの壁を乗り越えた男たちのドラマがあった。 作業は分刻みのスケジュールで行われる 日頃、目にする機会の多いJCTや出口の案内が表示された緑色の案内看板。これらがどのように設置されているかはあまり知られていない。今回は、その案内看板設置工事に立ち会ってきたのだが、その状況たるや想像を絶する厳しさがあった。 分刻みのスケジュールで、1つのミスも許されないプレッシャーの中で行われる作業は、まさに職人のなせる業。そこで今回は、首都高メンテナンスミッションの前編とし

    DocSeri
    DocSeri 2007/12/12
    通行止めせず、パトカーで流れを制御して空白を作り、短時間で作業。
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