田中 太郎 日経エコロジー編集長 1990年早稲田大学卒業、日経BP社入社。「日経レストラン」「日経オフィス」「日経ビジネス」「日経ビジネスアソシエ」「日経エコロジー」「ECO JAPAN」などを経て2014年から現職。 この著者の記事を見る
![つくられた「避難弱者」:日経ビジネスオンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/05f492a9ba706b05ca8fd61b1840b099fb59fdc9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fimages%2Fn%2Fnbo%2F2011%2Fcommon%2Fnbologo_ogimage.png)
高齢者59人が犠牲となった気仙沼市の介護老人保健施設「リバーサイド春圃」。建物前の地蔵に新しい花が手向けられていた=7月上旬 目の前に気仙沼湾を望む気仙沼市錦町の介護老人保健施設「リバーサイド春圃(しゅんぽ)」。東日本大震災の大津波は建物の2階まで押し寄せ、車いすの高齢者をのみ込んだ。生き残った人も寒さで次々に命を落とし、犠牲者は最終的に59人に上る。避難訓練の想定を上回る津波に、なすすべもなかった職員たち。「私たちに何ができて、何ができなかったのか」と自問自答する。(丹野綾子) <眼前> 津波は、建物2階のデイルームに集まっていた車いすの高齢者たちに襲い掛かった。悲鳴を上げる間もなく、車いすごと流される。職員たちは無我夢中でテーブルやカウンターに引き上げた。 施設長の猪苗代盛光さん(63)も胸まで水に漬かりながら両腕で2人を抱え、固定したいすに上げた。別の高齢者を助けに行こうとすると
東日本大震災支援に関する会議に参加する中で、宮城県への全国的なリハビリテーション支援の全体像がようやく見えてきた。 甚大な被害をもたらした東日本大震災だが、地震、津波、そして、原発事故の影響が地域によって全く異なる。仙台市中心部では、震災前と同じような生活が営まれている。一方、巨大津波に直撃された気仙沼・南三陸や石巻では、ライフラインの復旧不十分であり、長期に避難所暮らしを余儀なくされている。要介護者や虚弱高齢者の生活機能の悪化が危惧されており、地域におけるリハビリテーション機能の強化が急務となっている。 窮状を打開するため、「東日本大震災リハビリテーション支援関連10団体」 による気仙沼・南三陸や石巻地域への支援が開始された。それぞれ次のような活動をしている。 # 気仙沼・南三陸地域 気仙沼圏地域リハビリテーション広域支援センター(宮城県気仙沼保健福祉事務所)が中心となり、「東日本大震災
気象キャスターや番組ディレクターを経て、取材者に。防災、気象、対話、科学コミュニケーションをテーマに様々な形で活動中。「気象サイエンスカフェ」オーガナイザー。最新著書は、ジャーナリストの池上正樹氏との共著『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)でも写真を担当し、執筆協力も行っている。他に、共著で『気象予報士になる!?』(秀和システム)。最新刊は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。 ブログ:http://katoyori.blogspot.jp/ News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 ゴゴッ、ゴゴゴッという地鳴り
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