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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (10)

  • ああもう、イライラするな、どうして国道沿いは2000年で時が止まったような書き方するんだ - シロクマの屑籠

    地方論の反応に対する反応みたいなもの - ボンダイ わかってないな、というかこちらの書き方が悪いのかもしれないので補足する。 どうして国道文化愛好家にして田舎者の俺がイライラしているかっていったら、あなたの記事が国道沿いを「ゼロ年代、それもだいたい前半ぐらいの時間のスナップショットで止まっている」って書くからですよ。地方は東京にいつも遅れている、それは事実。けれども地方文化がガラケー時代で時を止めている主旨にはどうにも納得できないし、風景の変化や、(私が接している)それほどインターネットに深くのめり込んでいるわけでもない地方ネットユーザー達の動向変化とも合致していないと感じる。 地方は地方で時計の針は動いていて、タイムラグは東京に比べておおむね2〜3年程度のものだ。その2〜3年を大きいとみるか、小さいとみるかはお任せする。しかしとにかくも地方の時計の歩みが2000年で止まっているという主旨

    ああもう、イライラするな、どうして国道沿いは2000年で時が止まったような書き方するんだ - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2013/07/02
    「地方の若者が…中央の文化を求め始め、地元独自のカルチャーを志向するよりは東京の劣化コピーをありがたがった時点で…東京の劣化コピー、キッチュで埋め尽くされていくのは必定だった。」
  • 自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 - シロクマの屑籠

    http://anond.hatelabo.jp/20130306163244 リンク先は、就職活動中の大学生が書いた長文だ。文中、「自分はクズ」「人間失格」といった文字がちりばめられ、「どうやったらスティーブジョブズになれるんだよ!」とも書かれている。リンク先の書き手が、精神的にどれぐらい余裕が無いのか・万が一にもメンタルヘルスに問題を呈しているのかは、文章だけでは判断できないので、触れないでおく。 それより、私や友人達の間で「クズ」という言葉が流行っていた年頃を懐かしく思い出してしまい、“自称クズ問題”について書きたくなってきたので、書き記しておくことにする。 「クズ君」の思い出 大学生だった頃の私は、自分のことをクズだと思っていた。学業は低空飛行で、世間から後ろ指を指されるような趣味に耽り、コミュニケーションにも自信が無い。さりとて“一般的な”クラスメートや親族の前で「自分はクズです

    自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2013/03/08
    他人が何かをこなすのは難なく行なっているように見えるけど、自分にとって何かを行うというのは現状維持バイアスがかかって苦しいから、個人間の時間軸のズレを理想―現実軸と認識してしまっているのかも。
  • “村の掟”が不要な人/必要な人の明暗 - シロクマの屑籠

    私が記憶している平成初期と比べると、“どうしてこの人はこんな選択肢を選ぶんだろう”“ちょっと考えれば、それがヤバい事ぐらいわかるでしょ?”“こんなになる前に誰か引き留めなかったんだろうか”と首を傾げるような若い大人を見かける機会が増えたような気がする*1。夜中にも関わらず幼稚園児をファミレスに連れていく母親や、リスクを勘案しないで高利貸しを利用して搾取され尽くす男性などなどの、この手の実例はあなたも沢山みたことがある筈だ。 私はムラ社会なり地域コミュニティなりが崩壊した影響について色々考えたがるほうだが、この手の若い大人が増加した要因のひとつ(あくまでひとつ)として、地域コミュニティの崩壊がとても重要なんではないかという意見を持っている。 例えばファミレスで格差を思う。 - 漂流する身体。で触れられているような、 深夜1時2時なのに子供は走り回り、親らしき人物は放ったらかしで携帯で誰かと話

    “村の掟”が不要な人/必要な人の明暗 - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2013/01/27
    「やりがい」や「やるべきこと」を与えてくれるコミュニティというオウム真理教が支持されていた側面。村社会のそれは農業とか生活から来る必然性があったのだが。教育を担うオタクコミュニティとかかな。
  • 間違いない。エヴァだ――『ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q』(ネタバレ) - シロクマの屑籠

    劇場版 「新世紀エヴァンゲリオン」主題歌 魂のルフラン アーティスト: 高橋洋子/LOREN & MASH,高橋洋子,LOREN & MASH出版社/メーカー: キングレコード発売日: 2006/05/24メディア: CD購入: 2人 クリック: 101回この商品を含むブログ (41件) を見る 庵野監督が、やりやがった! やばいものを観てきた。 【警告!】この文章には『新劇場版ヱヴァンゲリオン:Q』のネタバレを含んでいます。これから観ようと思っている人は、読むと危険です。ブラウザを閉じて下さい。 「ああ、これだ!俺の知っている、あの『新世紀エヴァンゲリオン』だ!」と感じた。娯楽作品としての完成度からすれば、これより優れたアニメは他にもあるだろう。説明不足や、音響上の難点もあったように感じた。しかし、これはエヴァンゲリオンだった。間違いなくエヴァンゲリオンだった。「どうせ、娯楽作品なんでし

    間違いない。エヴァだ――『ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q』(ネタバレ) - シロクマの屑籠
  • 素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠

    ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetterまとめ 上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。 他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。 例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わな

    素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2012/09/13
    でも差別化できるプロになるまでメシを食わせてくれるところは減ってるよ
  • 足枷になっているのは“バカ親”なのか?“階層”なのか? - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209 リンク先は、とても難しい問題に触れている文章だった。 学問や読書に無頓着な親のもとで育ったために、伸びしろのありそうな子どもの思考範囲が狭く限界づけられてしまっている、というケースは結構あると思う。私も、それに近いような人を、福祉分野で見たことがある。ああ、この人がしかるべき教育を受けて、あわよくば医師になっていたらさぞかし切れ者になっていただろうな、と思うような。 例えば看護助手をやっている人のなかに、非常に要領の良い、段取りも記憶力も優れた人が混じっていることがある。しかし、そういう人も体系だった知識や学問のインストールを欠いているし、週刊誌やTVを批判的に眺める力も無い。パソコンに例えるなら『素晴らしいCPUとグラフィックボードと潤沢なメモリを積んでいる。けれどもHDDには

    足枷になっているのは“バカ親”なのか?“階層”なのか? - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2012/05/31
    それが最善と思ってるからキビシイ。そうでない世界が存在するということは教育だけじゃなくて都市空間のアーキテクチャとかもでかいよね。「あの家の子とは仲良くするな」みたいなのはザラだし。
  • 「中身のないラノベ」≠「たいしたことのないラノベ」 - シロクマの屑籠

    お前らって、とりあえずヒロインがいっぱい出てきて、抜きゲーばりに主人公がモテモテでひたすらイチャイチャするだけの中身空っぽなストーリーが読みたいからMF文庫読んでるんじゃないのか? - 主にライトノベルを読むよ^0^/ 上の記事のなかに、作品の出来不出来をもったいない基準で判断している人が混じっているような気がしたので、ちょっと書いておく。 なるほど、『僕は友達が少ない』や『ゼロの使い魔』のような作品は、イージーなキャッキャウフフを愉しんでもらうための、あざといライトノベルには違いない。文章は平易で、文字数も少なめ、小学校高学年でも読みこなせそうな作品だ。 こういった作品を見ると、ちょっと読書をかじった人達(特に、自分はもっと”中身のある”を読んでいると胸を張りたがる人達)は、「中身が空っぽの作品」といったような評価をすることがある。そこまではいい。問題はそこからで「中身が空っぽの作品」

    「中身のないラノベ」≠「たいしたことのないラノベ」 - シロクマの屑籠
  • 「ファミコンが日本を駄目にした」論 について - シロクマの屑籠

    ファミリーコンピュータ 体 出版社/メーカー: 任天堂発売日: 1983/07/01メディア: Video Game クリック: 43回この商品を含むブログ (12件) を見る 私が小学生ぐらいの頃、周囲の大人達は以下のような事をよく言っていた。 「任天堂は、ファミコンで日の将来を駄目にするだろう」 もちろん私はファミコンが大好きな小学生だったので、こうした大人達の言葉が面白く無かったし、「任天堂がなくなってもセガが頑張るから結果は同じだ」と反論していた。この「ファミコンが日の将来を駄目にする」論に限らず、その後も“テレビゲームの悪影響”は手を変え品を変え、指摘され続けてきた。例えば『ゲーム脳の恐怖』といった具合に。 あれから二十年以上の時が流れた。 セガはともかく、任天堂は世界を代表するゲーム会社の一つとなり、“プライベートな空間でゲームを楽しむ”という文化習俗をもたらした*1。任

    「ファミコンが日本を駄目にした」論 について - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2012/01/12
    世界中で流行っとるがな
  • 二次元キャラは、本当に使い捨てられるだけなのか - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/si-no/20111127/1322382556 アニメやゲームといった“二次元”の世界から、少年少女が売られてくるのは今に始まったことではない。「コンテンツ消費」「二次創作」といったお題のもと、数え切れないほどの少年少女が、オタク界隈の消費者達によって買われ、消費されてきた。これからも、そうだろう。 同人誌即売会で取引*1される二次創作作品を見ればわかる通り、そうやって消費者集団の前に差し出された少年少女は、しばしば性的にも消費される。同人誌を売っている現場に行ったことのある人なら、年端もいかない少女が大きく股を開いている図像や、少年同士がねっとり絡み合っている図像を見たことがあるだろう。ああいうエッチなまなざしと想像力が、二次元村から売られてきた少年少女にはまとわりついている。 二次元村で少年少女をクリエイトしている人々も、最近は心得たもの

    二次元キャラは、本当に使い捨てられるだけなのか - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2011/11/30
    なにも言ってないと思うのだが
  • 勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠

    いまの日人は、とても便利な世の中を生きている。 コンビニもインターネットもあるし、自分の人生もだいたい自由に選択できる。医療も治安もハイレベル。昔の人が見たら、さぞ羨ましがるだろう。 そのかわり、賢くないと――あるいは勉強しないと――何もできない時代になってしまった。 事務職に就きたいと思ったら、ワードエクセルは当たり前。子育てしようと思った未来のおかあさんも、子育てを一から勉強して、何が安全で何が危険か、自己判断しなければならない。行政サービスを利用する際も、あの煩雑な手続きを理解して申し込むのは一苦労だ。便利さにアクセスするためのハードルは、見えにくいところでとても高くなっていて、その恩恵に与れるのは、自分で調べて勉強できる人・賢い人だけだったりする。賢くない人・勉強もしない人ほど、自由選択の範囲は狭くなり、日常生活のリスクも回避しづらくなる*1。だから冒頭の文章は、正確には「いまの

    勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠
    Drunkar
    Drunkar 2011/10/31
    頭空っぽにすると片手打ちができなくてワンセグも見れなくて携帯サイトも見れないのです。そう、iphoneならね。
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