10年前に「アラブの春」の反政府デモが広がるきっかけの焼身自殺をしたチュニジアの若者ムハンマド・ブアジジさんの肖像壁画(奥)。彼が自らに火を放った2010年12月17日は地元で革命の記念日となっている=チュニジア中部シディブジドで2020年12月17日午後、真野森作撮影 「この町はずっと罰を受けている。革命を最初に始めたからだ」。チュニジア中部シディブジド市。屋外市場で青果を商うムハンマド・ジェブリさん(46)は販売台にオレンジを並べながらそう話した。教員資格を持つが勤め先が見つからず、この仕事をずっと続けている。「革命前の社会は抑圧されていたが、生活は安定していた。今は悲惨だ。次は生きる糧を求めて新たな革命が起きるだろう」 2010年12月17日、友人の青果商ムハンマド・ブアジジさん(当時26歳)が同市中心部で焼身自殺した。10年前の友の死をジェブリさんはこう振り返る。「警官に何度も路上
<くらしナビ 学ぶ> 親米国家樹立されたイランが革命成功 米大使館占拠に発展 米国がイランの司令官を暗殺したことにイランが怒(おこ)っています。それにしても、イランと米国は、なぜこんなにも仲が悪いのでしょうか。そこには、米国が自分の都合でイランにいろんなことを仕掛(しか)けてきた歴史があります。イランには、米国に勝手なことをされてきた怒(いか)りがあるのです。 中東というとアラブ人というイメージを持つ人も多いと思いますが、イランはペルシャ人の国です。アラビア語もペルシャ語も、どちらもアラビア文字を使い、右から左へと書きますが、違(ちが)う言葉です。
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