認知症研究の第一人者で、自らも認知症であることを公表した認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長の長谷川和夫氏が13日、老衰のため東京都内の病院で死去した。92歳。愛知県出身。家族葬を行った。 認知症専門医。1974年に認知症の疑いや認知機能の低下を早期発見する「長谷川式簡易知能評価スケール」を発表。その後、医療現場で広く使われている。認知症ケアでその人らしさを大切にする「パーソン・センタード・ケア」や、「痴呆」から「認知症」への名称変更を推進した。
旧民主党政権で国土交通相を務めた立憲民主党の羽田雄一郎(はた・ゆういちろう)参院議員が27日午後、東京都内で死去した。複数の関係者が明らかにした。53歳。長野県出身。 玉川大文学部を卒業後、父の羽田孜元首相の秘書などを経て、1999年参院補欠選挙で長野選挙区から初当選。当選5回。参院国土交通委員長、旧民主党参院国対委員長などを歴任し、2012年の野田内閣で初入閣した。 羽田事務所や周辺によると、羽田氏は数日前から発熱など体調に異変があり、27日午後に都内の病院に搬送される途中に容体が急変した。死因は分かっていないという。
乳幼児を襲う謎の病気「川崎病」を発見した小児科医の川崎富作(かわさき・とみさく)氏が5日午後、老衰のため東京都内の病院で死去した。95歳。東京都出身。自宅は非公表。葬儀・告別式は親族で行った。日本川崎病研究センターが発表した。 1948年に千葉医科大付属医学専門部(現・千葉大医学部)を卒業後、東京都の日赤中央病院(現・日赤医療センター)小児科の勤務医に。 61年、高熱や発疹などを特徴とする見慣れない病気の存在に気づき、症例を集めて研究を重ね、67年に「急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群」という新しい病気だとする論文を発表。その後、川崎病と名付けられた。
岡江久美子が新型コロナウイルス感染で死去、夫・大和田獏と娘・美帆が胸中つづる 2020年4月23日 16:24 214 1 映画ナタリー編集部 岡江久美子が本日4月23日5時20分、新型コロナウイルス感染による肺炎で死去した。63歳だった。 所属事務所によると、岡江は4月3日に発熱し、数日様子を見るよう言われていたが6日朝に容体が急変。救急入院し、PCR検査で新型コロナウイルス陽性と判明した。懸命な治療を続けるも完治に至らなかったという。2019年末に初期の乳がん手術を受け、今年1月末から2月半ばまで放射線治療を行っていたため、免疫力低下が重症化の原因と見られている。 夫の大和田獏、娘の大和田美帆は「今はただ残念で信じがたく、悔しくて悔しくて他は何も考えられない状態です。どうかそっと送って頂きたいと願っています」と連名でつづった。また「全力を尽くして治療にあたって頂いた医療関係者の皆様に心
岡江さんは3日に発熱し、4~5日様子を見るよう言われ自宅で療養に努めたが、6日に容体が急変。都内の病院に緊急入院し、ICU(集中治療室)で人工呼吸器を装着し、その後PCR検査で陽性が判明した。懸命な治療を続けたが、完治に至らなかった。 事務所によると、岡江さんは昨年末に初期の乳がん手術を受け、1月末から2月半ばまで放射線治療を行っており、免疫力が低下していたことが重症化した原因とみられる。 また、「岡江の入院以来、夫、大和田獏と娘、大和田美帆はそれぞれの家で外出を自粛しております。現在症状は出ておりません。ただ、ショックが大きく、皆さまに対応できない状態です。しばらくはご静観ください」と呼びかけている。 なお、通夜及び葬儀は未定で、後日「お別れの会」を実施する予定。 岡江さんは1956年8月23日生まれ。東京都出身。TBS系ドラマ『天までとどけ』やテレビ朝日系ドラマ『味いちもんめ』に出演し
たけし 志村さんの死で「うつになっちゃった。ノイローゼになった」 拡大 ビートたけし(73)が11日、レギュラーを務めるTBS系「新・情報7daysニュースキャスター」に出演。3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)について、初めて語った。たけしはあまりの突然の別れに「ちょっと鬱(うつ)になっちゃった」と語るなど、ショックの大きさをにじませた。 先週の同番組の放送がお休みだったため、雑誌のコラム以外でたけしが志村さんについて触れるのは今回が初めて。 「けんちゃんは苦労してるからね。荒井注さんがやめるまでボーヤ(ドリフターズの付き人)だったからね。」と正式にザ・ドリフターズのメンバーとなるまでの若き日の苦労をしのび、「お笑いについては、コント、芸人そのもので。コント一筋の人で、なかなかできないですよ、こういう人は。テレビの時代が変化しても、この人はやっぱり、お笑いのコントを突き詰めた」
新型コロナウイルスによる重度の肺炎を患い入院中だった志村けんが、3月29日に逝去したことが分かった。 2月に70歳の誕生日を迎えていた志村けん。「ヒゲダンス」「バカ殿様」「変なおじさん」「アイーン」……様々なキャラクターで多くの世代を笑わせ続けた。高校卒業後、ドリフに入り、1度お笑いを離れた青年はいかに伝説のコメディアンになったのか。(初出:2020/2/20) ◆◆◆ お笑い界のレジェンドともいうべきコメディアンの志村けんがきょう2月20日、70歳の誕生日を迎えた。志村といえば、数年前にNHKで放送されたコント番組『となりのシムラ』は新鮮だった。何しろ志村がカツラもメイクもせず、素の姿でコントを演じたからだ。同番組中のコントでの、妻や娘から冷たくされるなどといったシチュエーションは、長らく深夜番組の1コーナーとして放送されていたコメディドラマ「志村運送物語」にも通じるが、志村の姿がまった
気さくにポーズに応じながらも「本当は照れるんだよね」と話した志村けんさん=東京都千代田区で2010年4月27日、尾籠章裕撮影 「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして国民的な人気者となり、1人で活動するようになった後も「変なおじさん」など多くの人気キャラクターやギャグを生み出した志村けんさん。老若男女に愛された国民的コメディアンは、練り上げた笑いを追求した。 原点は、ドリフが出演していた公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」。メンバーが木曜に翌週分のコントのネタを出し合い、金曜に翌日のコントの稽古(けいこ)、土曜にリハーサルや本番に臨むスタイルで多くの時間と労力を割き、コントを入念に作り込んだ。志村さんはリーダーのいかりや長介さんから、そんな笑いの作り方を徹底的にたたき込まれた。 1974年に正式メンバーになると、切れのある動きと豊かな表現力で、従来のドリフにはなかった新しい笑いを提供。瞬
ザ・ドリフターズのメンバー加藤茶、仲本工事、高木ブーは、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった志村けんへの追悼コメントを発表しています。 以下、所属事務所イザワオフィスの公式サイトより 【加藤茶コメント】 ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです。 皆さんも身近に感じて、気を付けてくださるようお願い致します。 【仲本工事コメント】 ドリフも順番に逝く歳になったとは思ったけど、一番若い志村が⻑さんの次になるとは、、、。 非常に悔しいです。 【高木ブーコメント】 志村早すぎるよ、俺より先に逝くなんて。3年前に、久しぶりにドリフでコントやった時、 「高木さんも80歳過ぎて、頑張ってるんだから、自分も頑張らなきゃなぁ」 って言ってたよね。また一緒にコントやりたかったのに。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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