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2014年9月25日のブックマーク (6件)

  • マドンナもビヨンセもガガもマライアも「性」を商品化したポルノである点でAKBと変わりません

    ano_ano @ano_ano_ano AKBは「性」を商品にしているポルノだ。それが理解できない日社会はおかしいって主張している人たちはマドンナ、マライア、ビヨンセ、そしてレディーガガについては「性」を商品化していないとでも思っているのだろうか?(´・ω・`) 2013-02-05 13:58:26 ristacchica @ristacchica @ano_ano_ano えっ、AKBとレディー・ガガでは「女らしさ」の意味がだいぶ違いますよね?日の「性の商品化」の代表がAKBやグラドル、AVの状態じゃ仕方ないかと。 2013-02-05 14:19:50

    マドンナもビヨンセもガガもマライアも「性」を商品化したポルノである点でAKBと変わりません
  • 東京の本当に美味しいケーキ屋ベスト21 - Vera

    東京にはケーキの名店がたくさんあります。 今回は、 一度はべたい伝統の老舗 テレビ・雑誌で良く紹介される有名店 をエリア別にまとめ、その名店で買うべき「看板商品」をご紹介。 1ピースから取り扱うお店を中心に集めたので、気軽に買えると思います。 おいしいケーキが急にべたくなった時や、お客さんが来る時など、ぜひ参考にしてみてください!

    東京の本当に美味しいケーキ屋ベスト21 - Vera
  • スプートニク日本ニュース|経済、科学技術、ビジネス、政治ニュース

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  • [記者手帳] 塩野七生さん! “自己欺瞞”をしているのはあなたです

    「占領とは、ある民族が、他の民族の支配を受けて剥奪されることを言う。彼らの財産が破壊され、彼らの魂が破壊されることだ。占領が狙っている核心は、(…)自らの存在を決定する権利、自分の家で日常生活を送る権利を否定するものであり、彼らの人間性まで否定することだ。占領とは恥辱であり、絶望だ」(サラ・ロイ『ホロコーストとともに生きる』) 日軍慰安婦(性奴隷)に関する日国内の議論は、日の支配勢力の多くがいまだに人間性に対する初歩的な理解と人間(他人)に対する基的な礼儀すら備えていないという考えを抱かせる。 韓国でも多く売れた(250万部以上)という全15巻の連作『ローマ人の物語』の著者塩野七生(77)が、保守右派性向の日の代表的月刊誌『文芸春秋』(2014年10月号)に次のような文を書いた。 「人間は、恥ずかしいことや悪いことをしたと感じた場合、強制的に仕方なくしたのだと主張する傾向がある。

    [記者手帳] 塩野七生さん! “自己欺瞞”をしているのはあなたです
    EoH-GS
    EoH-GS 2014/09/25
    「人間は、恥ずかしいことや悪いことをしたと感じた場合、強制的に仕方なくしたのだと主張する傾向がある。(そんな話を)繰り返していると、自分もそれを(事実だと)信じるようになる」←自己批判かと思ったらそうじゃ
  • 産経新聞「米国の司法が慰安婦問題は法的にはもう終わったとする審判」は誤報 - macska dot org

    慰安婦問題は国際法上すでに解決済みである、と主張する論者が、その論証の一部として、韓国台湾中国・フィリピン各国の元慰安婦が日政府をアメリカ連邦裁判所に訴えた裁判の判決を挙げることがよくある。たとえば産経新聞は今月一日、次のように報じた。 韓国などの「元慰安婦」と称する女性たちが2000年9月に日政府を相手に米国で起こした訴訟は、連邦地裁、高裁、最高裁、さらに高裁への差し戻し、高裁からまた最高裁への上告、そして最高裁による棄却と、複雑な経過を6年近くもたどる。 (略) このプロセスで米国の各裁判所が一貫して明示したのは、慰安婦問題は戦争時の案件として、1951年の対日講和条約、65年の日韓基条約、72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約ですべて解決済みだとする判断だった。米国の司法が慰安婦問題は法的にはもう終わったとする審判を下したのである。 以前からこうした主張は何度かみか

    産経新聞「米国の司法が慰安婦問題は法的にはもう終わったとする審判」は誤報 - macska dot org
  • 「靖国」に反対する精神障害者有志

    という国家が、その成立の過程において、他国への侵略を行ってきた事実を忘れることは許されない。だが、「靖国」に象徴されるような、国家が紡ぐ物語は、その加害の歴史への居直りである。靖国神社は、平然と、自信満々に存在しており、そのことは容認されている。とすれば、侵略戦争と植民地主義は、まだ終わっていないのだ。 一方で、精神疾患を持った者たちは、政治的主体性を蔑ろにされており、容易にその主張が無効化されてしまう。しかしながら、精神障害者にも政治参加の権利があるのであり、私たちはその権利を自覚し、行使するとともに、私たちの意見が尊重されることを求める。 私たちは、加害の忘却を許さない。私たちは、私たちの脆い生存を守るためにこそ、「靖国」に象徴されるような、無責任に対して、解体のくさびを打ち込み続けるだろう。

    「靖国」に反対する精神障害者有志