断片です。ここにあげておけば忘れないので。 神話論にとっての百済との文化的関係が重要なのは、なによりも『古事記』の編者、太安麻呂の氏族、多氏が百済系氏族と深い関係をもっていたためである。つまり前述の多神社注進状によれば太安麻呂の父、多品治の父、つまり安麻呂の祖父は多蒋敷(こもしき)であるが、その妹は百済太子余豊璋の妻となって、百済滅亡にさいし、余豊璋が倭国の援助を受けて百済王として送り出されたときに一緒に百済に渡っている(野村忠夫『諸君』一九七九年四月五月号)。彼女は時の大王、宝姫大王(斉明)に仕える宮人(女官)であったろう。その後、余豊璋は唐・新羅との戦争に敗北して高句麗に亡命したが、多氏はその前から百済王族・貴族と関係が深かったのであろう。彼らは百済滅亡の後に新たに倭国に亡命してきた百済貴族・文人とも深い関係を結んだに相違ない。安麻呂の『古事記』の編纂に関わるなどの特殊な地位はこのよう