70年前のコタバル上陸作戦当時の様子を語る武田義雄さん=佐賀県鳥栖市の自宅で2011年12月6日、田鍋公也撮影 ハワイ・真珠湾攻撃の約1時間前、日本はマレー半島で太平洋戦争への第一歩を踏み出していた。1941年12月8日午前2時過ぎ、旧日本陸軍は当時英国領のマレーシア北東岸コタバルへの上陸作戦を開始。敵味方多くの犠牲者を出し、戦線拡大への契機となった東南アジアでの奇襲攻撃は戦後、対米開戦の真珠湾攻撃に比べ、語り継がれることが少なかった。70年を経て、コタバル上陸作戦に参加した元日本兵と当時を知るマレーシア男性が10日、横浜市で証言集会に臨み、「知られざる開戦」を語る。【夫彰子】 「上陸用の小舟から降りて海岸に伏せていたら前方のトーチカから敵の銃弾がビュンビュン飛んできて、同じ分隊の4、5人が戦死しました。私も背負っていた(背嚢はいのう)に一発食らってビクッとしました」 コタバル上陸作戦に参