メモ | 14:25 | ※23日お昼頃文末に追記しました。 抗議のための座り込みに対する南部諸州当局の抑圧は、それが社会に対して実害を与えたとか実害を与えそうだとかいった事実にもとづいてではなくて、要するに、白人と黒人とは分離して坐わるのに決まっているという地方慣行があって、座り込みはその慣行に違反している、そのゆえに取り締まられるべきだという伝統思考にもとづくものであった。――――奥平康弘『「表現の自由」を求めて』(1999)241頁 外国人の権利がなぜクリティカルになるかといえば、外国人の権利が権利の限界にあるからだろう。以前「バックドロップ・クルディスタン」(http://www.back-drop-kurdistan.com/)をみたとき、何が面白かったかというと、日本語の意味が通じる限界で同時に権利の限界が問題になっていたからだった。「日本語の意味の通じる限界」というのはこ