表題のとおり、今回は村上春樹の『アンダーグラウンド』、いわゆる「オウム・サリン事件」にまつわるインタビュー集を取りあげる。これをオウム裁判などの現実的な事象とともに考察し、またそのうえで以降の村上作品も位置づけてみたい。といっても、1995年に起きた東京地下鉄サリン事件から11年、『アンダーグラウンド』刊行の1997年からも9年と、すでに問題が取り扱われた時期からそれなりの時間が経過しており、一連の出来事やこれらの村上作品に、その当時きっちり応接した人からすれば、こんなこころみは「いまさら」の感があるかと思う。 そのころのわたしは、マスメディアによる「オウム報道」をどちらかというと敬遠して積極的に摂取しなかったし、村上の上記作品も読まなかった。理由は、どう見ても世情におもねったマスコミの報道が、おうおうにしてアンフェアで、事実認識的にも混乱しているようにしか思えなかったからだ。またこれと
私は今、日本教職員組合(日教組)作成の『第64回教育祭(1999年10月30日)新合葬者名簿』[註1]なる小冊子を手に取り、精読しようとしているのである。一昨日、つまり「教育勅語発布記念日」[註2]である10月30日は、大阪城公園大手前広場にそびえ立つ、巨大な建造物・教育塔の前で、教育祭なるものが執り行われる日でもあったのであり、それを見学した私は、上記小冊子の注解作業に迫られたのであった。なぜなら、もしも私が死亡した場合にも、職場の校長や私の遺族(母と弟)がこれを読み、あるいは日教組からの提示・説明を受けて、教育塔への「合葬」(合祀)を申請してしまう危険性があるからなのである。だからそんな火急の場合にそなえて、私の遺志をわかりやすく理解してもらうために、この小冊子に即して書いておく必要性を痛感させられたのであった。 [註1]『広辞苑』によれば、「合葬」(がっそう)=「同一の墓に二人以上
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