最近、仏像が恋しい。 やはり、これはずっと前に見に行った、阿修羅展の影響か、 はたまた今パワー不足なせいか、 無性に見たい。 昨日も街角で「ビッグイシュー」が売られていて、 その特集が仏像特集だったので、つい買って、かぶり読んだ。 「ビッグイシュー」はホームレスの仕事をつくり、自立を応援するため発行している雑誌。 はじめはボランティア感覚で買ってみたのだが、この雑誌が結構おもしろい。 内容も豊富で中身のある情報が載っているので、オススメです。 その特集に「仏像さんぽ」というエッセイが紹介されていた。 特に京都や奈良など行かなくても東京都内にもいい仏像があるという。 仏像を見に、京都は無理でも江ノ島まで行こうかと思っていた私には目からウロコの情報。 近々、仏像を巡る散歩にでもでようかなと一人思っています。(愛) ※写真は阿修羅展に行ったときに買った興福寺にある迦楼羅立像のポストカードです。
3号の締め切りまで1週間を切りました。 いつも月刊イオはこの1週間はバタバタしております。 今月は私も特集で重要な仕事をひとつ任されています。 それは出来上がってのお楽しみと言うことで… 話は変わって、昨日ようやくテレビで「崖の上のポニョ」を見ました。 いままではなんとなーく飛ばしながら見ていましたが、 今回も家の掃除をしながら見ていたので何で町があんな状態にあったのかが さっぱりわかりませんでした…が、ポニョがリサが作ってくれたラーメンに ピョンピョン跳ねるシーンがあるのですが、そのシーン見てとなりのトトロのめいを思い出しました。 さつきが家族の弁当を作ってご飯にふりかけ?をふっているシーンで、 それを見てめいがピョンピョン跳ねていたような…。違っていたらすみません。 どうでもいいことですが、そのシーンの朝ご飯を食べているとき、 さつきの友達・みっちゃんがやってくるシーン。 「さ~つきち
昨日、衝撃的なニュースが流れた。 号外も出たほどだ。 横綱・朝青龍が引退したのだ。 これまで数々の「話題」を提供してくれた横綱だったが、かげりを見せた相撲人気を取り戻す原動力になったのことに、異論をはさむ人はいないだろう。 (この稿を書きながらビックリしたのだが、「あさしょうりゅう」と打つと、ちゃんと「朝青龍」と変換される。) 各紙は、朝青龍を「朝青」と書く。 在日本朝鮮青年同盟の略称は「朝青」。 まったく関係ないが、シンパシーを感じている朝青員たちも多いはず。 私もその一人である。 これから誌面に「朝青」の文字が躍ることがないと思うと少しさびしい気がする。 悪童をそのまま大人にしたようなあの振る舞い、騒動の数々。 それでも優勝してしまう疑う余地のない強さ。 魅力あふれる横綱であった。 引退後は何をするのだろう? そのうちモンゴルの大統領にでもなっていそうな気がする。 彼の引退で相撲人気が
というわけで事務的な締め切りは今日であるが(笑)、やっと採点の祭典を始めたのである。日本の3大祭りとは、ヤマザキ春のパン祭り、東映まんがまつり、花王ヘアケア祭りである。これに全国の大学でいっせいにおこなわれる採点の祭典を合わせて、日本の4大祭りという。「エスニシティ論」などというマイナーな講義に毎回100名を超える学生どもが履修しに来ていて、今年は120名だったが、これはだいたい学科の一学年の半分以上が履修していることになるのである。日本の大学は不思議なことに専任教員になると採点する枚数が減るということになっており、俺が関大や関学や龍大や大阪女子大など、6つの大学で非常勤講師をしていた4年前などは、採点の祭典のたびに500〜600名分のテストやレポートを採点していた。ムキになる性格なので怪しいやつはとことんググってパクリを調べるとかしていたら本当に1ヵ月は他の仕事は何もできないほどだったが
先週の土曜日、演劇をはしごした。 昼に池袋で「パニ・パニ・パニック」(作・演出:鄭光誠)という阪神・淡路大震災を舞台にした作品を観て、夜には新宿で劇団May「夜にだって月はあるから」(作・演出 :金哲義)を観たのである。この2作品については月刊イオの3月号で紹介する。 「夜にだって月はあるから」の上演が終わった後、いつものように関係者や若干の観客が劇場に残って飲み会を開いた。そこに私もずうずうしく参加させてもらった。 その日は、月刊イオの筆頭執筆者で現在「ジョンホの読み方」を連載している金正浩氏も観に来ていた。金正浩氏は劇団アランサムセの座長でもある。 私と金正浩氏が酒を飲みながら話をしていると、劇団Mayの座長で劇の作・演出をした金哲義氏がやってきた。さらに、今回の作品に客演した劇団タルオルムの座長・金民樹氏も輪に加わってきた。 そう、金正浩、金哲義、金民樹(年齢順)という在日同胞演劇界
極端な差別的発言と暴力的威嚇をくりかえしている排外主義集団「在特会(在日特権を許さない市民の会)」などにたいして、 持続的な反撃と防衛、監視に取りくんでいる対抗ネットワークです。 「排外主義を許さない5・30関西集会」のブログが閉鎖されることになりましたので、記録としてその内容をこちらに保存しておきます。今後とも排外主義者たちとの戦いにご注目いただき、ともに多文化共生の社会を実現させていきましょう。下から日付の古い順になります。 集会決議 5・30集会で採択された決議です。 集会決議 私たちは在特会、主権回復を目指す会等の暴力を決して許すことができない。彼らの排外主義を露にした暴力は一線を越えたものとなっている。 昨年4月フィリピン人女子中学生を標的とし彼女の生活する地域、学校等に向けられた集団リンチとさえいえるデモ、そして12月京都朝鮮第一初級学校への襲撃。ウトロ、鶴橋、東九条といった在
先週から九州地方の出張が続いています。 大分、北九州、そして今週は佐賀をたずねていきます。 こんなことを言うと遊びにいっているのかと叱られそうで気がひけるのですが、 本当に行くところどころで良くしていただいています。 とくに大分では、関サバに関アジなどの海の幸をこれでもかというくらいご馳走になり、 そのほかにも焼肉、地獄蒸しなどを食べさせてもらい、体重2キロ増くらいはくだらないです。笑 湯布院(※写真)や別府の地獄めぐり、宇佐神宮などいろんな観光名所にも連れていっていただきました。 そして、今年から大分トリニータに朝大卒業生の加入が決まったとのことで、今から青商会のメンバーは湧いていました。青商会としては最大限もてなしてあげたいということです。 たくさんの人たちとの出会いもありました。みな気がやさしく、あったかく接してくれました。私が東京から来たということで、いろんなことを興味深々に聞いて
1月末、川崎市麻生区の風の谷幼稚園に取材に出かけた。朝鮮舞踊をぜひとも子どもたちに見せたい―。天野優子園長のたっての希望で金剛山歌劇団の若手が招かれたのだ。 駅を降りて歩くこと15分。山の中にある幼稚園に足を踏み入れると「メー」と山羊が出迎えてくれた。園児と保護者250人が注目する中、チャンセナプの演奏やチャンゴの舞が披露され、着ぐるみのライオンやアンパンマンマーチに盛り上がる子どもたち。一番会場が沸いたのはサンモが描く円をヒョイと潜る遊びで、男性舞踊手が倒れてしまわないかと心配になるほど、沢山の園児たちが列をなして順番待ちしていた。 川崎フロンターレの感謝祭で朝鮮舞踊を見て惚れ込んでしまったという天野園長。幼い頃から異文化を体験させてあげたいと、朝鮮文化との出会いに一番喜んでらした。 自然に囲まれた風の谷幼稚園は畑も広く野菜作りもするそうだ。つい最近は干し柿を取り入れたばかりとのこと、お
24日の日曜日から、某地方に取材に出ている。 ある日、取材を終えて、夜に、食事をかねてホテル近くの小さな飲み屋に入った。 取材に出ると、地方にもよるのだが、一人で飲むということは案外少ない。 知人や取材相手と一杯やるというケースがほとんどだ。 しかし、たまに誰も相手にしてくれなくて、一人で飲むということもある。 それはそれで、寝る場所も気にする必要がないし、いくら遅くなっても平気だし、 ということで、悪くはない(ひとりでホテルにいてもつまんないしね)。 入った店は、カウンターだけの店だったのだが、しばらくすると、 男女3人ずつ6人のグループが入ってきて、こちらの横に座った。 そこしか席があいていなかったのだ。 全員、こちらよりも明らかに年齢が上である。 すぐ隣なので、当然会話が聞こえてきた。 すると、ところどころ、明らかに朝鮮語が聞こえてくるのであった。 それも、韓国からやってきましたとい
先日、新たに好きな写真家ができました。 木村伊兵衛という写真家です。 出逢いは突然に―。 先日、ふらっと一人で、東京都写真美術館へと足を運びました。 そこでの「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン 東洋と西洋のまなざし」展を見るためです。 両者の名前は聞いたことがあったものの(特に木村伊兵衛は「木村伊兵衛賞」という賞があるくらいなので)、 実際の写真はみたことがなかったので、時間も余っているし、結構な量が展示されているということなので、 この機に一度見てみようと出掛けました。 「木村伊兵衛」。なぜその名前が今も伝えられているのか、その理由を知るのに時間はかかりませんでした。 昭和の生活と、そこで暮らす人々を写した写真は力強かったです。 その写真たちを見ていると、嗅いだこともないのに、その時代の匂いまでもが漂ってきました(もちろん錯覚)。 場所は新宿、競馬場、日暮里など、日本の様々な地
会期:2009/03/18~2009/03/31 銀座ニコンサロン[東京都] これはすごい写真展である。会場にはノートのページを克明に複写したプリントがずらりと並んでいる。つまり手書きの文字だけが目に入ってきて、他には何もない。ノートに記されているのは「父の日記」である。写真家の太田順一の父、中野政次郎は1920年の生まれ。妻に先立たれた1987年頃から87歳で亡くなるまでの20年間、「毎日欠かさずきちょうめんに」日記をつけ続けた。昔気質の、あまり趣味もないまじめな人柄なので、記されているのは朝起きて、食事をおいしく食べたといった類の、身のまわりの出来事だけである。あまり波風も立たないその記述が、死の2年前、認知症の症状が出て老人施設に入所する頃から大きく変わってくる。「ボケてしまった」、「毎日がつらい」というような同じ言葉が何度も綴られ、字は錯乱し、殴り書きに近くなってくる。それはまさに
5歳の息子とたまに図書館に出かけるようになった。 最近彼は黙読もできるようになり、物語やシリーズものも楽しんでいる。どういうお話だったかを興奮気味に伝えてくれることもあるし、親の弱点をユーモラスにフォローしてくれるなど、意外な表現や関心が見えてきて会話が益々楽しくなってきた。 図書館の児童書コーナーは過去に比べてスペースが増え、充実しているように思う。あれだけの量を前にすると、幼い子でも当然、借りたい本がたくさん出てくるようだ。「何冊借りれるの」と私に気兼ねするので、カードを作ってあげることにした。聞いたところ、カードは0歳から作れるとのこと。10冊まで借りられると聞いた彼は、ピーターラビットシリーズを5冊と他に数冊を借りてウキウキしていた。 そして家に着いた途端、借りてきた本を読み始めた。隣で旅行雑誌をパラパラめくっていた私は、子どもって知らない間に成長するってホントだなと感じながらも、
みなさんは自分の歩く姿をちゃんと見たことがありますか? 結構ありそうでないですよね。 私は自分の歩きにあまり自信がありません。 あえて気をつけているのは猫背にならないようにすることです。 そこはどうにかなっていると思います。 でも、やっぱり少し歩き方に問題があるみたいです。 何でかというと、靴のヒール部分の内側だけ、やたら磨り減っていくんです。 それも数回はいただけなのに。 磨り減りがはげしくなったものを、いくつか修理に出したこともあります。 そのまま履き続けると更にバランスが悪くなり歩きづらいくらいになるので。 その時はよみがえるんですが、またいずれ元に戻ってしまうので悲しくなります…。 予防策として、ヒール靴でもちゃんと歩ける訓練が必要だと実感。 そこで、足の内側に軸を持ってくるみたいな気持ちで歩くことを心がけました。 重心を内に内に持ってくる感じで、神経を集めるようにするんです。 で
公教育に対する代案教育が活発化する韓国で、生徒たちの探求心を重要視し、自主的に学ぶための環境づくりに独自的な取り組みをすすめる以友高校の生徒たち11名が1月20日、東大阪市立太平寺中学校夜間学級を訪問、大人の中学生たちと交流を深めた。 以友高校は、一年生を対象に海外研修旅行を実施しており、選択により世界各地の人々と交流している。今回訪問した生徒たち11名は広島、京都、大阪を訪問し、平和、環境などのテーマ学習に取り組んだ。 太平寺夜間中学では、夜の学び舎で学ぶ在日一世、二世のオモニたちと交流し、渡航史などの聞き取りを行った。生徒たちは、韓国で練習を重ねてきたハンドベルに合わせて歌を披露、また肩もみなどでオモニたちの労った。 訪問者を代表して挨拶した男子生徒は、「異国で苦労されたオモニたちに会えてよかった。長生きしてください。」と述べた。夜間中学校の生徒を代表したオモニは、「遠いところ、訪問
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く