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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (7)

  • 悲劇じゃなく希望。スーパー小学生投手は6年後に野手で甲子園に出た

    その投手を初めて見た6年前、「こんなピッチャーがプロに行くのだろう」と鮮烈な印象を受けたことを今でもはっきりと思い出す。 投手の名前は岡戸克泰(おかど・かつひろ)という。といっても、ドラフト対象の高校生でも大学生でもない。まだ小学6年生の少年だった。 身長168センチ、体重60キロという小学生としては大きな体で、流れるような投球フォームから投げ込むサウスポーだった。指に掛かったストレートが角度よく低めに決まると、捕手のミットから強い捕球音がこだまする。これは小学6年生のボールではないと驚いたし、さらなる伸びしろも感じさせた。 スタメンは外れたが、9回に代打で試合に出場した聖光学院・岡戸克泰 人に話を聞いて、もっと驚いた。てっきり有能な指導者に仕込まれたのかと思った投球フォームは、独学で手に入れたものだった。 「テレビでプロ野球を見て、自分の動きと違うところがないか考えながら作りました。参

    悲劇じゃなく希望。スーパー小学生投手は6年後に野手で甲子園に出た
  • 「空振りばかりの子豚ちゃん」山川穂高が、西武の4番に変身するまで

    中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke西田泰輔●撮影 photo by Nishida Taisuke プロでの実戦経験はまだ、二軍で2ヵ月――。 今から4年前の2014年5月、西武ライオンズの潮崎哲也二軍監督は大卒ルーキーの山川穂高に対し、最大級の期待を寄せていた。 さらなる飛躍を誓ってキャンプインした山川穂高「将来的には一流プレーヤーになっているんだろうなって。おかわり君に近づいているんじゃないかなという期待がありますね。性格的には癒しキャラで、野球界の"ふなっしー"みたいな感じ。しゃべって面白い、プレーで面白い。早く一軍のファンにも見せてあげたいプレーヤーのひとりです」 ぱっちりした目と、愛くるしい笑顔。176cm・100kgのどっしりした体型。沖縄出身で、底抜けに明るい。 そんな山川は西武第二球場に足を運ぶファンからすぐに愛されるようになり、ついに大卒

    「空振りばかりの子豚ちゃん」山川穂高が、西武の4番に変身するまで
  • デストラーデが語る「西武黄金時代と日本野球」|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball

    デストラーデインタビュー(前編) オレステス・デストラーデは、90年代を知る野球ファンならば忘れることのできない「助っ人」だ。銀縁眼鏡の奥にきらりと光る知的な目。ホームランを打ったあとの"弓を引く"ポーズは、誰も真似できない風格があった。秋山幸二、清原和博とともに破壊力抜群のクリーンアップを形成し、1990年から3年連続日一に貢献。現在、53歳となった「カリブの怪人」に西武黄金時代や日野球について振り返ってもらった。 日で4年間プレイし、通算160塁打を放ったデストラーデ ―― 日は久しぶりですか。 「4、5年ぶりかな。飛行機に乗る時から、日のことを考えていたよ。成田空港が見えた時には、思わず写真を撮ってしまったよ。まるで子どもだね(笑)」 デストラーデは53歳には見えない若々しさで、全身からコロンのさわやかな香りを漂わせていた。そしてカフェで注文したカレーを美味しそうに口に運

    デストラーデが語る「西武黄金時代と日本野球」|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball
    FTTH
    FTTH 2015/07/28
    ところで何しに来たんだろ 何か企画とかイベントよな?
  • デストラーデが語る「西武黄金時代と日本野球」|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball

    「メジャーリーグのジョー・トーリやNBAのフィル・ジャクソンは、偉大な監督というより、偉大なモチベーターだと思うんだ。選手のモチベーションの上げ方を知っていて、『彼には優しく』『彼には厳しく』など、きちんと使い分けることができている。そういう意味で、当時の西武にはいろんなタイプのモチベーターがいたね。打撃コーチの広野(功)さんは優しくて、いつも頑張れと励ましてくれたね。広野さんは私のモチベーションを上手に上げてくれた。よく英語で話しかけてくれたし、いつも元気だったね。逆に、三塁ベースコーチの伊原(春樹)さんは厳しくて、いつも怒っていたよ(笑)。このように、西武にはアプローチの違うモチベーターがいて、それが最終的にひとつに結合され、勝利へと導いていったんだ」 デストラーデは日でプレイをした4年で「日というものを学んだ」と言い、「私は日の野球に従ったマシンだった」と言ったが、その口調は決

    デストラーデが語る「西武黄金時代と日本野球」|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball
    FTTH
    FTTH 2015/07/28
    “逆に、三塁ベースコーチの伊原(春樹)さんは厳しくて、いつも怒っていたよ(笑)”ここでもそんな扱いの伊原ェ……
  • 【大相撲】舞の海が『火ノ丸相撲』を読んで、思うこと

    スポルティーバ編集部●取材・文 text by Sportiva村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo 先の11月場所初日、少年ジャンプ連載中の『火ノ丸相撲』の懸賞幕が土俵に上がった。人気急上昇のこのマンガ、主人公は身長160センチ(背伸び時)の高校生、潮火ノ丸。その体のハンデにめげず、大相撲の横綱になるという夢を持ち、弱小相撲部を立て直し、強豪校の力士たちも立ち向かっていくストーリー。これを読むと思い出すのが、「平成の牛若丸」「技のデパート」といわれた元小結、舞の海(幕内通算241勝)。当時の身長規定で新弟子検査に通らず、頭にシリコンを入れる手術を受けて、再度検査に臨んで、力士になったという逸話はあまりにも有名だ。 現在はNHKの解説をはじめ、スポーツキャスターとして幅広く活躍している舞の海秀平さん。この作品を読んでの感想、そして、力士の大型化が叫ばれて久しい大相

    【大相撲】舞の海が『火ノ丸相撲』を読んで、思うこと
  • 【MLB】すれ違いの6年。理解されることのなかった松坂大輔の「美意識」

    今季最終戦となったヤンキース戦に登板した松坂大輔だったが、3回途中5失点で降板した 松坂大輔と初めて出会ったのは、彼が18歳のときだ。あれから14年が経ち、松坂は32歳になった。 高校生の頃から今に至るまで、松坂と接していて、いつも思うことがある。 それは、超一流のプレイヤーにありがちなコンプレックスの類を、彼からはまったく感じたことがないということだ。わかりやすいところで言えば、体が小さいとか、家が貧しいとか、野球界のエリートコースを歩めなかったとか、超一流の域に達したプレイヤーから話を聞くと、望むと望まざるとにかかわらず子どもの頃から背負わされた何かしらのコンプレックスがあったんだろうなと想像させることが珍しくない。そうしたプレイヤーほど、負の感情をバネに天井を押し上げ、屋根を突き破って、無限に広がる大空へと飛び立っていくものだ。 しかし、松坂からはそうした負の感情を感じない。体に恵ま

    【MLB】すれ違いの6年。理解されることのなかった松坂大輔の「美意識」
  • 【小田嶋隆】興奮か冷静か?応援と競技を楽しむ姿勢の狭間にある「ファン」の観戦態度|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|小田嶋隆 「二次観戦者の帰還

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    【小田嶋隆】興奮か冷静か?応援と競技を楽しむ姿勢の狭間にある「ファン」の観戦態度|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|小田嶋隆 「二次観戦者の帰還
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