第1回内国勧業博覧会に鉛版活字を出品し内務卿大久保利通から賞状授与さる 『石川島重工業株式会社108年史』 >> 社史紹介「い」を別窓で開く 1876(明治9)年石川島平野造船所を起こした平野富治(ひらの・とみじ、1846-1892)は、長崎で本木昌造(もとき・しょうぞう、1824-1875)から活版印刷所を引き継ぎ、1872(明治5)年東京神田に活版製造所を創立していました。丁度太陽暦への切り替え時期で、「平野の印刷した改暦の印刷物が、太政官から全国に配布されて活版の効用も認められ」た、と『石川島重工業株式会社108年史』p.208に記載されています。造船所内の鋳造場で鉛版活字が作られたのではないかと考えられます。 参考:6.内国勧業博覧会 殖産興業と博物館 〔東京国立博物館〕 http://www.tnm.jp/jp/history/06.html http://www.tnm.jp/