ドコモ口座(どこもこうざ)を毎回、 ドコモロ座(どこもろざ)と読んでしまう。 その度に「珍しい星座だなー」と思い、「いや星座じゃねえわ」と思い直してる。
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現在キン肉マン周りを騒がせている一連の騒動は非常にわかりづらいため一度整理させていただきたい。 今のキン肉マンは2011年から週プレNEWSというWEBサイトで「ネット連載」だけを続けていた。 紙の雑誌では一切連載されておらず、ネット連載のみの状態で9年間連載を続け「キン肉マンは今が一番面白い」と言われるほどの盛り上がりを見せた。 そして盛り上がりが繁栄されたのかキン肉マンは2020年8月より雑誌「週刊プレイボーイ」に紙の雑誌連載として復活する運びになった。 これにより「午前0時には公式HPで無料で読めるが 紙で読みたければプレイボーイを買う」という選択肢が生まれる つまり8月に雑誌に復活するまではキン肉マンファンが(単行本待ち組以外は)全員WEB連載を追いかけていたということをまず覚えておいてほしい。 そして雑誌復活以後、作者であるゆでたまご先生による「スクリーンショットが目に余る」とい
物体が反射する光を感じ取ることができるってのは理屈ではわかるよ? でも反射した光を『見る』ことによって物体の3D構造や距離感を正確かつ瞬時に脳内で把握できちゃうって冷静に考えたら凄すぎないか? その点耳や鼻はしょぼいよ 聴覚だって嗅覚だってなんとなくの距離感くらいはわかるかもだけど、音とか臭いをどれだけ反射させたところで 目の前に置いてあるものがウォーグレイモンのフィギュアなのかフィリップスの髭剃りなのかすら判別できないわけじゃん? 目って当たり前にありすぎて皆気にもとめてないけどちょっと過小評価されてると思うんだよね、こんなんSFの世界の器官じゃん もしかしてイルカとかコウモリだと『見る』に近い感覚で聞こえてたりするんだろうか 不思議だなぁ
第2期ヒューリック杯清麗戦五番勝負は2-3で里見香奈清麗に負けた。7月・8月と番勝負を戦っていく中でたくさんの温かいメッセージをいただいた。将棋指しは盤の前では常に一人で考え抜き、決断をし続けていかなければならない。対局中は応援の声は聞こえないが、その心を支えてくれるのは応援してくれる人たちだ。いつも応援してくださる皆様、そして清麗戦を主催していただいているヒューリック株式会社様に改めてお礼を申し上げたい。また1歩ずつ山を登っていこうと思う。 女流棋士と棋士には棋力に差がある 番勝負終了後に少人数で打ち上げが行われた。そこで「なぜ女性棋士はまだいないのか」という話題が出た。将棋界において棋力があれば「棋士」になるのに男性も女性も関係はない。今回はこの話題について書いていきたい。 まず前提として「女流棋士」と「女性棋士」が混同されがちだが、この2つは制度が異なる。女流棋士になるためには、「研
安らかにお眠りください。 …………………………… 長い間総理お疲れさまでしたということで、印象に残る発言の数々を50音順に集めてみました。キラキラ輝くキャッチーな発言、これこそがレガシーだ。 あ 悪夢のような民主党政権 い 意味のない質問だよ う ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている え エンゲル係数上昇は食生活の変化によるものです お お答えは差し控える か 籠…池…さん…でしたっけ き 緊張感を持って注視する く 空前絶後の規模、世界最大の対策によって、この100年に一度の危機から日本経済を守り抜きます け 権力はガンガン使うものなんですよ こ こんな人たちに負けるわけにはいかない さ サンゴについては移している し 森羅万象すべてのことに答えなければならない立場ではありますが す スピード感を持って支援をお手元にお届けしてまいります。 せ 責任を取ればいいというものではない そ
スポーツウエアのフェニックス(東京、ワン・ヤレイ社長)は、今年12月31日をもって事業を終了すると取引先に通知した。スキーウエア「フェニックス(PHENIX)」や伊アスレチックウエア「カッパ(KAPPA)」などを販売する創業68年の老舗企業。2008年に中国のスポーツ用品メーカーである中国動向集団の傘下に入ったが、業績低迷に歯止めがかからず、今年の新型コロナウイルスによって引導を渡された格好だ。事業終了後のブランドや店舗の扱いについて同社は「コメントできない」としている。 日本のスキー用品業界の草分け的な存在だった田島一男氏が1952年に創業した同社は、80年代にはスキーウエア、アウトドアウエア、ゴルフウエア、ストリートウエアなどに業容を拡大。80〜90年代のスキーブームのけん引役となり、ピーク時の96年には売上高が320億円に達した。しかしスキーブームの終息によって業績が低迷し、2004
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