筆者は長くテレビ誌で記者としてドラマの現場を見聞きし、かつ自分でも数本の映画を作ったことがある。その中で“成功する映像化”と“失敗する映像化”を分ける要素を痛感してきた。ドラマの例を挙げながら紹介したい。 基本的に漫画や小説を映像化する目的は、すでにヒットした作品の人気によって視聴率や興行収入を確保することにある。オリジナルのキャラクターや設定をイチから好きになってもらうよりも、すでにファンがいることが分かっている方がドラマにしても映画にしてもヒットの可能性は高くなる。
2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、2008年2月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優の古原靖久さん(37)。 古原さんは、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去を持ち、YouTubeや講演会などで自身の経験を発信している。そんな彼に、児童養護施設に入所するまでの経緯や、当時の施設での生活状況などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く) 「僕はお母さんが16歳のときに産んだ子ども」 ――古原さんは児童養護施設のご出身とのことですが、施設に入所するに至った経緯を教えてください。 古原靖久さん(以下、古原) 僕は、お母さんが16歳のときに産んだ子どもで、お父さんの年齢は忘れましたが、とにかく若い両親に育てられました。5歳くらいから児童養護施設に入ったんですけど、一番古
唯一の目撃証言は4年前 “最初の事件”は2019年7月16日午前4時、世界自然遺産・釧路湿原の北に位置する標茶町オソツベツ地区の牧場で発覚した。牧場関係者が放牧中の牛1頭の姿が見えないことに気付き、捜索したところ、森の中で無惨な姿で殺されている牛の死骸を発見したのである。その関係者が思わず声をあげると、20メートルほど離れた藪の中から1頭のクマが飛び出し、逃げていった。後々まで、これがこのヒグマに関する唯一の目撃証言となる。 写真はイメージ ©iStock.com 以来、8月5日に8頭、8月6日に4頭、8月11日に5頭……といった調子で連日牛が襲われるようになり、その被害は2ヵ月で実に28頭に及び、現場に残された体毛のDNAにより「同一犯」によるものと推測された。この頃になると、最初の事件が起きた地区の名前「オソツベツ」と、現場に残された足跡の幅が「18センチ」とされたことから、このヒグマ
次々とタイトルを奪取し、将棋界を席巻する天才・藤井聡太。その師匠である杉本昌隆八段が、瞬く間に頂点に立った弟子との交流と、将棋界のちょっとユーモラスな出来事を綴ったエッセイ集『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』(文藝春秋)。 その中の一篇「パソコンショップでの攻防」(2022年5月26日号)を転載する。 (段位・肩書などは、誌面掲載時のものです) ◆ ◆ ◆ パソコンの買い替えを藤井竜王に相談 私たちの仕事道具は将棋盤と駒だが、現代はそれとは別に欠かせないものがある。研究用のパソコンだ。 DL(ディープラーニング)系の将棋ソフトが形勢判断に優れているそうで、従来のものより評価が高い。藤井聡太竜王がそれで研究をしているとのことで、注目度は高いのだ。 起動させるためには高性能パソコンが必要で、これがかなり値が張る。昨年、渡辺明名人が購入されたパソコンは約130万円だとか。 実は私、長年使って
しかし、悪評にも理由はあります。本作は同年イギリスで発生した「ソールスベリー毒殺事件」という実在の化学テロをテーマにしており、イギリス政府はこの事件の実行犯がロシア軍の諜報員だったと断定したものの、ロシア政府は真っ向から否定し容疑者の身柄引き渡しを拒否しました。 つまりこのゲーム、そんなセンシティブな情勢下でロシア側から出てきた、イギリスの国民感情を逆撫でするブラック・ユーモアだったというワケです。 ゲームボードには、二人の容疑者が英国入国までに辿った軌跡と、ソールズベリーを歩く防護服を着た人々が描かれている ナチス政権下のドイツで作られたあまりに“明白”なゲームたち その後、イギリスを含めたヨーロッパ諸国とロシアの関係性は悪化の一途を辿り、2023年現在彼らがどのような関係になっているかは……敢えて説明する必要もないでしょう。 娯楽は娯楽であるがゆえに、属する社会の価値観に大きな影響を受
先手の羽生が選んだ戦型は角換わり腰掛け銀。藤井がもっとも採用する戦型にあえて飛び込んでいった。 定番の先後同型から、藤井は羽生の出方を待つ。昨年12月の棋王戦での対戦では、羽生は銀矢倉に組み替えたが、本局では玉と金の位置を右に一路ずらすという、凝った組み替えにする。これは2022年2月に指された豊島将之九段-斎藤慎太郎八段のA級順位戦と同じ進行だ。と、ここまで調べていて、あることに気がついた。 第2局の相掛かりも2022年8月の豊島-斎藤戦の順位戦と同一だった。羽生の後手番でも、第1局の1手損角換わりは2022年9月の豊島-永瀬拓矢王座の王座戦五番勝負第3局と、端歩の違いを除けば同じ。第3局の雁木も、2023年1月の豊島-大橋貴洸六段の棋聖戦と同じで、このとき羽生は大橋と同じ陣形にした。 すなわち直前の前例が、すべて豊島の将棋なのだ! 4局とも羽生が戦型を誘導しており、とても偶然とは思えな
最初に流行ったのは、全話を一気に見るスタイル 「倍速・タイパ」と呼ばれる視聴スタイルとは真逆のこの方法によって視聴者が最初に作品を見るタイミングをいわば強制的に揃え、SNSを占拠する。さらにSNSで言及してもらいやすくするための仕掛けも作品内に張り巡らせ、放送後のタイムラインをファンアートや流行りのフレーズで埋め尽くしてもらう。「リフレイン(繰り返し)消費」とも呼ぶべき体験が、明らかに意図的に起こされていたのだ。 ゲーム・オブ・スローンズ 2015年にNetflixが日本に上陸してから既に7年が経過した。Netflixのような映像配信サブスク・サービスが拡げたのが連続ドラマ・アニメなどを全話一気にみる「ビンジウォッチング」と呼ばれる視聴スタイルだ。ビンジ(binge)とは「どんちゃん騒ぎ」や「熱中」を意味し、1話1時間のドラマを10話×4シーズンぶっ通しで見るような視聴スタイルが拡大した。
『機動戦士ガンダム』と『ウルトラマン』。昭和の成長期に誕生し、今なおアニメと特撮の大看板を張るシリーズの最新作が、令和4年の初夏に劇場公開された。それぞれの監督を手がけた安彦良和氏と樋口真嗣氏が、自身の作品に込めた思いのたけを語る! ◆◆◆
2018年、小誌のインタビューで「老後と死」についてこう語っていた藤子氏。4月7日、神奈川県川崎市内の自宅で倒れているところを発見された。 富山県氷見市で生まれ、その後転校した小学校で、後に漫画家コンビ「藤子不二雄」を結成する盟友、藤本弘(藤子・F・不二雄)氏と出会う。87年末にコンビ解消を発表したが、96年に藤本氏が亡くなるまで、川崎市内で三軒先に住む“隣人関係”が続いた。 和代さんに惚れ込んでいたが、一方で女性好き プライベートでは和代夫人が85年に倒れ、現在も入院治療中。夫の死去は伝えられていないという。夫妻に子はおらず、晩年は姪が食事など身の回りの世話をしていた。藤子氏と長年交友があった出版社「ヒーローズ」代表の白井勝也氏が語る。 「彼は和代さんをとても大事にしていました。惚れ込んでいた。でも、その一方で女性が好き。僕らと酒席を共にしていても、綺麗な女性が隣にいたらどんどん声をかけ
ロシアによるウクライナ侵攻支持の象徴として広がっている「Z」マーク。だが、日本で「Z」と言えば、あの男――。「アニメソング界の帝王」こと水木一郎(74)だ。 水木一郎 東京都世田谷区で4人兄弟の末っ子として生まれ、母親の好きなスタンダードジャズを子守唄に育った水木。68年に「君にささげる僕の歌」でデビューすると、アニメ・特撮の主題歌を次々に担当。72年に放送が始まったロボットアニメ「マジンガーZ」のオープニングテーマは70万枚超の大ヒットを記録した。 持ち歌は1200曲を超えるが、中でも「マジンガーZ」は水木が「名刺代わり」と公言する代表曲だ。サビの部分で宙にZの文字を描きながら「ゼーット!」と雄叫びをあげる「Zポーズ」も水木の代名詞として定着した。 今年は「マジンガーZ」の放送開始からちょうど50年。これまで同作の主題歌、挿入歌を大切に歌い続けてきた水木だが、ウクライナ侵攻によって「Z」
〈第一条 対局者は、対局中は、一時的な場合を除き、マスク(原則として不織布)を着用しなければならない。〉 日本将棋連盟が2月1日より実施した「臨時対局規定」が棋士たちの間に“盤外戦”を呼び起こしている。 ◆ ◆ ◆ 以前は入念に読みを入れる際、外す光景も見られたが… 続く第三条にはこうある。 〈対局者が第一条の規定に反したときは(略)反則負けとする。〉 マスクをしなければ負け、という厳格な規定だ。 後日、連盟から棋士たちに送られてきた説明メールによれば、第一条の“一時的な場合”とは、食事中や飲み物を飲むとき、周りに人がいない(2m以上離れている)とき等、とある。 「これを受け、2月11〜12日に行われた王将戦第四局では、渡辺明王将も藤井聡太竜王も、終局までマスクを外しませんでした。以前は入念に読みを入れる際、外す光景も見られましたが……」(観戦記者) 「対局相手がノーマスクだと、そりゃイラ
市原 作家陣の精査です。いちばん絶望したのは新人作家陣の層の薄さです。まったくゼロというわけではない。しかし、この大きな雑誌を動かしていくには圧倒的に才能群が足りない。未来への種子がない。育成体制もズタズタ。僕の編集長時代に黄金時代が到来することは絶対にないと確信しました。 先ほども申し上げたように、新人作家の育成には最低6~7年はかかります。自分は捨て石になるしかない、礎を築く代にしようと腹を括りました。ただ、新人作家が育つのを待ってばかりもいられない。 ――その間にも収益を上げなきゃいけないわけですしね。 市原 そう。壊滅的な経営状況の中でゼロベースから新人育成するわけで、第1期生が育ち切るまで最低でも5年。その間に雑誌が潰れてしまってはどうしようもない。そのときに閃いたアイデアが、『名探偵コナン』のスピンオフでした。当時の「少年サンデー」では『名探偵コナン』が絶対王者であり、青山剛昌
小学館「週刊少年サンデー(以下、少年サンデー)」編集長を10月13日付で退任した市原武法氏。2015年の編集長就任時、「少年サンデー」は1959年の創刊期以来、初の赤字転落が見込まれていた。 就任直後、市原氏は同誌の38号(2015年8月19日発売)に「読者の皆様へ」と題する宣言文を掲出。新人育成を絶対的な使命とする「サンデー改革」を表明した。そして退任にあたって自身のツイッターで「未曾有の危機にあった少年サンデーも6年3か月の在任中で劇的に業績改善し無事に次世代に引き継げたことを嬉しく思っています」とつぶやいた通り、「少年サンデー」は危機を脱する。内外に大きな反響を呼んだあの改革表明の真意は何だったのか。「少年サンデー」という老舗ブランドをいかにして立て直したのかをお聞きした。(全2回の1回目。後編を読む)
日本では、なぜ「ナチスのモノマネを気軽にしてしまう人」が後を絶たないのでしょうか。 デリカシーのない日本人の発言の数々 筆者はドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、ミュンヘンで育ちました。日本に来てから約20年。思い返してみると、来たばかりの頃、「日本とドイツのハーフ」であることを伝えると、よくこうリアクションされたものです。 「日独ですか。日独といえば、日独伊三国同盟ですね!」と。その後、発言者の多くが決まって「わっはっは」と大爆笑するのでした。 「日独伊三国同盟」は筆者ももちろん知っています。しかしなぜ自己紹介の際、それを持ち出すのか不思議でなりませんでした。というのも、ドイツでは「ナチス政権時代に日本・ドイツ・イタリアが同盟を結んでいたことを喜ばしく思うような発言」はタブーだからです。 この発言者の多くは高齢者でした。現在では戦争や同盟のことをあまり知らない人が増えたせいか、同じ
「ガンダム」の生みの親、富野由悠季が手掛ける劇場版『Gのレコンギスタ』。その制作過程で感じた事、考えた事を赤裸々に思いのまま綴った書籍『アニメを作ることを舐めてはいけない -「G-レコ」で考えた事-』(KADOKAWA)がガンダムファンを中心に大きな話題を呼んでいる。 ここでは、同書の一部を抜粋。『Gのレコンギスタ』の企画構想段階での考え、若い世代に伝えたかった思いについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 理論的な裏付けがほしかった 自分なりにレコンキスタのイメージ画やら、ビクローバーのラフの図面を描き始めた頃から、図面だけではダメだと感じて書いていったもので、歴史的なことや概念的なことを決め込みたかったからで、理論的な裏付けといったものがほしかったのだ。 が、ここでいう“理論的な”という言葉に騙されてはいけない。“若さゆえの先走り”といったもので、恥ずかしいことは恥ずかし
本作は、ミュージシャンであるつんく♂氏自身が企画書を提出し、任天堂が開発したゲームである。内容はリズムに合わせてボタンを押す「ノリ感ゲーム♪」となっている。 遊んだことのない人は「たったそれだけ?」と思うかもしれないが、むしろこれこそが人々の心を掴んだ。本作は、平成18年度の文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞も獲得しており、15年経ったいまでも忘れられない一作なのである。 「音ゲー」ではない「リズムゲーム」 つんく♂氏が本作に関するインタビューで語っているように、本作はかつての「音ゲー」(音楽ゲーム)に対する疑問から生まれている。当時の音ゲーは、画面に出てきた指示に合わせてボタンを押すなどして演奏を楽しむものであった。 初代『リズム天国』にも収録されている「リズム脱毛」 画像はリズム天国 ザ・ベスト+ 紹介映像 - YouTubeより しかし、音ゲーは「指示に合わせてボタン
俳優の竹中直人(65)が、本番前日の7月22日に、過去に障がい者や女性を揶揄するようなコントを演じていたことを理由に、自ら申し出て出演を辞退していたことが、「週刊文春」の取材でわかった。 開会式を巡っては、作曲担当だった小山田圭吾氏が過去に同級生をいじめていたことが問題視され、7月19日に辞任。演出を統括するショーディレクターだった小林賢太郎氏も過去にホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を揶揄するようなコントを演じていたとして、7月22日に解任されていた。 竹中が出演予定だったのは、開会式序盤の木遣り歌とダンスのパフォーマンス。女優・真矢ミキとともに、大工の棟梁役を演じることになっていた。 大工の棟梁役で登場した真矢ミキ(NHKより) 開会式関係者が明かす。 「7月21日に行われた通しリハーサルでは、棟梁役は真矢と竹中の2人でした。竹中はノリノリで大工たちを盛り上げ、図面を見ながら指示を出す演
阪神・淡路大震災の教訓が活きた ――3.11から、今年でちょうど10年が経ちます。今から振り返ると、過去の様々な災害と比べて、東日本大震災ではすぐ10万人態勢を整えるなど、自衛隊の初動がかなり早かった印象があります。それができた理由は、何だったとお考えですか。 折木 自衛隊はこれまで災害派遣を何度もおこなってきましたが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災のときには、災害派遣要請が遅かったとか、自衛隊の出動が遅かったとか、そういう話もありました。それを機に、災害が起きたらすぐに出るという、即応体制の訓練をやって、自治体との連携もとれるようになってきました。そうした改善が活きたという面はあると思います。 また、東日本大震災のときは震災そのものが大きかったので、「これは自衛隊が出なきゃいけない」というのは、組織としても、それから各部隊としても、直感的に感じたわけです。だから、そういう面でも
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