詰襟と学ランは違うのか、学ランという言葉はどこからきたのかと、ご質問をいただくことがあります。学ランとは、誰かが商標登録したとか、正式名称として流通していた言葉ではなく、例えば原チャリ(正式には原動機付き自転車)のように、なんとなく呼ばれていた略称のようなものなので、その根拠を断定するのはむずかしいのですが、『学ラン』なる言葉が一般化しだした明治期の時代背景も考慮して、想像をめぐらせて見ました。 明治初期、洋装自体が珍しい頃に、当時相次いで設立された帝大や私大の学生が着始めた詰襟や帽子は、一般庶民には、軍人と見分けがつかず、エリートへのあこがれと反発のシンボルとなっていました。 当時、読み書き算盤や儒学以外の、法学、医学、教育学、理工系学問などは、もっぱら洋学と呼ばれ、新時代の学問と位置付けられていました。 しかし、それを学ぶ学生は、エリート意識の裏返しとして、洋学を、鎖国時代の名残であっ