空気の読める社会(2) Communication | Society 前回の「空気の読める社会(1)」は大きな反響を頂いた。いかに多くの人が、「空気を読む」ということに対して思うところを持たれているかということを示していると思う。そこで、コミュニケーションの形態によって、空気を読むということが求められる度合いがどのように変わってくるかということを検討し、それに基づいてより良く過ごすためのヒントについて考えてみたいのだが、まずは、何故、価値観が多様化したにも関わらず、コミュニケーションを成立するために論理的な言語によるやりとりが発達するのではなく、ますます空気を読むことが求められるようになったのかについて、いくつかの補足を加えながら、改めてまとめておきたい。 前回も書いたように、コミュニケーションの場においてますます空気を読むことが求められるようになった最大の要因は、「相手の感情を害しては
2006年01月07日12:57 縦並び社会-誰も格差を埋めてはくれません カテゴリ変化への視点 kinkiboy Comment(7)Trackback(15) 景気回復基調であり、株価はバブル期の日経平均の高値は3万8950円と比べれば、まだ半値以下とはいえ、一日平均取引額はすでにバブル水準を上回っています。日本に再びゆるやかに上昇機運がやってきたように思えますが、その影では、、「生き残りをかけた競争」はますます激しくなり、多くの市場ではトップ・ブランドしか儲からない、いわゆる「市場の小選挙区化」が以前に増して進んできています。そんな競争に勝てず、経営危機に陥っている企業がどんどん生まれてきています。 さらに厳しいリストラは、好景気というにもかかわらず、いまだに人びとに襲いかかってきています。個人も「勝ち組と負け組の格差」が容赦なく広がってきており、ほんとうに厳しい時代になりました。
ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。 ガ島通信さん経由で、毎日新聞の連載「縦並び社会・格差の現場から」に元クレイフィッシュの社長、松島庸さんがとりあげられていることを知った。 香港でIP電話などを手がける投資会社の雇われ社長をしているという。 そうか、松島さんは今香港にいるのか。 松島さんと知り合ったのは94年だから、もう12年になろうとする・・・・。 95年にぼくがプロデュースしたイベント「ネットワーカーズジャパン(おふらいんまつり)」でホームページを作ってくれたのが松島さんだった。 ぼくにとって初めてのホームページの仕事だった。 イラストにクリッカブルマップを重ね、ホームページビルダーがまだなくて手作業でタグを打っていた時代には手の込んだ仕上がりだった。 ニフティのビジネスヒントフォーラムのシスオペだった松島さ
OECD諸国では女性の労働力参加率と出生率の関係が1980年代に負の相関関係(労働力参加率の高い国々は出生率が低い)から、正の相関関係(労働力参加率の高い国々は出生率も高い)に転じたことは既に知られているが、これはこの2変数間の因果関係の変化を意味するのか、それとも他の要因によるものかは未だに明らかにされていない。本稿では、各国固有の観察されない出生率の決定要因を考慮・制御するとOECD諸国で女性の労働力参加率と出生率の因果的関係は平均的に見て依然として負の関係であるが、1980年代以降有業有配偶女性にとって仕事と家庭の役割の両立しやすい社会環境(仕事と家庭の両立度)が整ってきたことがこの負の関係を、(1)女性の労働力参加とこの「両立度」の交互作用効果(2)労働力参加の負の直接効果を相殺する「両立度」を通した正の間接効果、の2つのメカニズムによって弱めてきたことを明らかにする。またこれらの
クリスマスが間近に迫り、街はカップルで溢れる中、自分はというと一人寂しく居残り業務。あんなチャラ男よりも、自分のほうがぜったいにいいのに・・・ なぜ自分はモテないのか。グチるまえによく考えて欲しい。あなたは自身に対して、正しいセックス・エンジン・オプティマイゼーション(以下SEO)を施しているだろうか?本連載では、今話題のSEOについて、なんとなく@ITっぽい感じで適当に紹介してみたいと思います。 セックス・エンジン・オプティマイゼーション(SEO)とは、恋愛至上社会において、結婚や恋愛に対して検索をかけた際に、自身が上位に表示されるように最適化を行うことです。 出会いの機会の少ない現代社会の恋愛を考える上で、素敵な異性を見つける上ではセックス・エンジンの最適化はかかせません。AHUUU JAPANの調査によると、未婚女性のおよそ8割が職場や交友関係のツテを通して、恋愛対象を探しています。
何らかの物事に対する「定義」に関する議論を進めていくと、神学論争になりやすい。その際、神学論争を避けるためには、定義づけを行う言葉(=対象となる言葉)をできるだけ、「小さくしていく」しかない、と私は考えている。議論自体をわあわあ楽しむような場合は、そんな小難しいことを言わなくても良いとは思うのだが、少し真面目に議論する場合は、やはり、「大きな言葉は使わない」ことだと思う。 で、少し話は変わる。「新聞はネットを殺すのか」の湯川さんが、「日本のブログジャーナリズムの現状」というエントリで、「ネットの一次情報を基に取材する記者」という小見出しの部分で、ネットと一次情報の関係について触れている。 「ネットには一次情報が無い」という声がある、だいたいはそうかもしれないけれど、一次情報を発しているブログもある、例えば、耐震設計偽造問題では「きっこのブログ」が情報発信源になり、そこから情報を入手して各メ
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