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思想に関するGedolのブックマーク (3)

  • NOBODY氏のポジショントーク - 地下生活者の手遊び

    以前にも紹介したことのある、アドルノの「F尺度」において、理系大学生の権威主義的傾向が高いとされることに疑問を感じていましたにゃ。だってさ、アインシュタインとかファインマンなんかはシロウト目には科学者の理想イメージにゃんが、彼らに因襲的なものがあるとは思えにゃーもの。 それに、♀は数学が苦手か? - 地下生活者の手遊びで論じたように、数学あるいは物理学の専門家集団においては歴史学などの学問分野に比して性差別的傾向が著しく少なかったということも存じていますにゃ。 だから、自然科学者はリベラルな傾向があるのではにゃーかというのが僕のイメージだったわけですにゃ。無論、そうした自然科学者のイメージと反するワトソンやショックリーのこともまた取り上げたことはあるんだけれど、自由闊達な自然科学者というイメージは、そこそこ流通しているものだと思うのですにゃ。 というわけで、自然科学、それもハードサイエンス

    NOBODY氏のポジショントーク - 地下生活者の手遊び
    Gedol
    Gedol 2008/12/20
    大事なのは「レッテル」そのものに付加属性が無い事。法律は「日本国民」というレッテルには法律効果を持たせないが、「日本国民」というレッテルを「貼られた人」には法律効果を与える
  • 永遠平和は可能か――太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』★★★★ - 金田一輝のWaby-Saby

    この世界において、次第次第に、効果のある非暴力をもって暴力にかえて行くように努力すること。 シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』 私は今でも、もし必要ならば戦争は可であるという考えである。しかし、最近になって、ますます「永遠平和は可能か」という問いが頭から離れないでいる。この問いは、見かけよりももっと現実的なものではないか。もし「現実的」が、実現可能性とは別次元で成立しうるものを指すとしたら。 憲法九条について正直に言うと、明確な改憲論の立場であった時でさえも、そこには何か崇高なものがあると感じていたことは否めない。崇高なものは宗教的なものである。したがって、そうした理念は憲法にはなじまない。ゆえに、改憲すべきであると、考えていた。ここにあるのはいわば、私の政治的信条と宗教的信条の衝突である。しかし、この衝突は、果たして決定的な対立といえるのだろうか。 かような思考を繰り返すうちに、いわゆる「

    永遠平和は可能か――太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』★★★★ - 金田一輝のWaby-Saby
    Gedol
    Gedol 2007/10/17
    こういう風に9条を遠目で見てみるのはいいなぁ。
  • マルクスの亡霊たち - 池田信夫 blog

    デリダの「脱構築」の概念とマルクスの関係は、古くから指摘されてきた。これは知識人と左翼が同義だったフランスでは当然のことであり、マイケル・ライアンの『デリダとマルクス』のように両者をストレートに結びつけたもある。デリダ自身も「私は正統的なマルクス主義者です」と(半分冗談で)インタビューで語ったことはあるが、彼の格的なマルクス論は、これが最初で最後である。 社会主義が崩壊し、マルクスは死んだと思われた1990年代になって、あえてマルクスを論じるところに、デリダの反時代的な姿勢がうかがえる。書で彼は、マルクスへの「負債」をはっきり認めている。脱構築の概念は、言説を解体することによって、その裏側にある(意識されない)意味をさぐりだすことだが、そうした方法論が初めて語られたのは、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』である。人間は自分自身の歴史を作る。だが、思うままにではない。

    Gedol
    Gedol 2007/10/09
    多分「自明」ってものを想定した時点で「亡霊」に取り憑かれるんだろうなぁ。でも、「亡霊」ナシでは生きてゆけない私たちだから「信仰」と割り切るしか。
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