YANN TOMITA at BLUE NOTE TOKYO featuring DOOPEES 30th Anniversary
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精緻に写真を組み合わせることで、現実と想像の世界を融合させている ジュリー・N・ユルズマン「無題」1976年 デジタル写真において画像合成は邪道なのか。これが今回のテーマだ。デジタルカメラが一般に普及し始めた当初は、デジタル写真ならではの特徴として「画像合成が手軽に楽しめる」ことが必ず示されていた。 そこで作例として、人物を切り抜いて月面と合わせてみたり、空を飛ばせたりと、かなり安直な画像が出回っていたものだ。現在の「デジタル画像合成排斥」への機運は、そのころの苦い記憶にひとつ起因することは間違いないだろう。 が、歴史を振り返ると、写真が誕生した直後から画像合成は始まっており、ダダイズム、シュルレアリスム運動とともに活発に作品が制作され、現在までつながっている。フィルムやプリントを切り貼りし、何重の手間をかけてでも表現したかった世界があるのだ。デジタル技術で、その表現がより手軽に、豊かにで
1868年に明治維新によって天皇親政が始まった日本と、1871年に帝政が成立したドイツ。この年代的な符合からもわかるように、他の欧米諸国に比べて近代化の遅かった日独両国は、その後もどこか共通点の多い近代史を歩んできた。それは政治のみならず文化についても言えることで、ユーゲントシュティールやノイエザハリヒカイトなどの動向が日本の美術に少なからぬ影響を及ぼした一方、ドイツ美術もジャポニスムから大きなインパクトを受けるなど、両国の相互交流には決して軽んじられないだけの歴史的な厚みがある。にもかかわらず、その影響関係を解明しようとする試みは、今までほとんど為されてこなかった。パリやニューヨークといった他国の都市の陰に隠れて目立たなかった上、両国が第2次大戦での決定的な敗北を喫したこともまた、回顧的な視点の導入を妨げていた大きな要因に違いない。その意味でここに取り上げる「東京-ベルリン/ベルリン-東
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