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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (4)

  • ララビアータ:トロッコ問題 - livedoor Blog(ブログ)

    最近、サンデル教授の影響であろうか、倫理的難問が一見具体的な例題として問われることが多い。その典型例が、トロッコ問題と言われるもので、たとえば暴走するトロッコがあって、切り替え線で二つの線路に分かれているとする。一方に行けば多くの人を犠牲にするが、他方に行けば犠牲は一人で済む。その場に居合わせた者は、トロッコをどちらに導けばいいか?と問われるのである。この場合は、かけがえのない人命が功利主義的考慮に対象にされてよいかが問われているわけであり、我々はその問題状況をこの事例で明確に理解できるわけである。 しかし、果たして倫理問題がこのような形で当に理解できるものであろうか? 事例の説明が、判断できるにはあまりにも粗雑ではないだろうか?その場に居合わせた人がどのような立場の人間か問題にしなくてもよいのか?それぞれの線路の先にいて犠牲になる可能性のある人がそれぞれどのような人なのか、自分の家族や

    Gen
    Gen 2011/08/02
  • ララビアータ:キルケゴールの「反復」 - livedoor Blog(ブログ)

    先日、畏友のアリストテレス学者からメールを頂戴し、彼が指導した学生の修論でキルケゴールを扱ったものが添付されてあった。その中に拙著の『神学・政治論』からの引用があったので、何かコメントがないかとのことである。なかなかの力作で、私として格別異論が有るわけではないが、それに刺激されてあらためてキルケゴールについて考えて、コメントさしあげた。以下、その大意を記しておく。 拙著で私は、キルケゴールのレギーネ事件について、一応の推理をしている。 キルケゴールは1840年27歳の時、17歳の少女レギーネ・オルセンと婚約する。しかし約一年後、この婚約はキルケゴールの方から一方的に解消された。『恐れとおののき』『反復』『あれかこれか』などに始まる著作は、ほとんどこれ以後、堰を切ったように執筆されたものである。レギーネとの婚約は、それが『反復』『あれかこれか』などの作品に大きな影を落としているだけに、その解

  • ララビアータ:物語 - livedoor Blog(ブログ)

    社交が苦手だという人がいるが、こんな場合、私が推奨したいのは物語の修練である。日々の生活の中に、何か話のネタになることを探し、それを記憶し、またそれを人に語る習慣を身につけること。 もっとも、日常で経験する瑣末時を語れば、それだけで物語になるわけではない。あらゆることを、あらゆる細部もそのままに語り続けるのでは、井戸端会議のおしゃべりと変わりはない。そんな人たちは、他人の話にもよく耳を傾けないものである。自分の経験や関心から距離を置くことができないから、互いに独白しあうようなもので、他人の経験には無関心なのだ。そこでは、相手の話を糸口にして、何とか自分の話に持ち込もうとするだけである。 物語のためには、事実の羅列ではなく、何らかの意味の発見が不可欠である。さもなければ、“so what?”ということになる。だから他人に耳を傾けてもらえるように話ができるために必要なのは、ほのかな意味の発生に

  • ララビアータ:カヴァフィスの詩 - livedoor Blog(ブログ)

    山形新聞の「ことばの杜へ」というコラム記事を時々担当することになった。古今の名作・古典から一節を引いてきて紹介するものである。去る25日、私の一回目の記事が出た。取り上げたのは、カヴァフィスの詩「テルモピュレ」の中の一節である。当初は、ヘロドトスの『歴史』を取り上げようと思ったのだが、あのは短い一句だけを取り上げるにふさわしいところを見つけるのが難しく、仕方なく、テルモピュライのエピソードを下敷きにしているカヴァフィスの詩を取り上げたものである。 カヴァフィスは、1863年アレクサンドリア生まれの現代ギリシア語詩人である。E・M・フォースターがイギリスに紹介して以来、世界的に知られるようになった。私は、中井久夫氏が1985年『現代ギリシャ詩選』(みすず)で紹介されて以来、愛唱してきた。その後1991年中井氏訳の『カヴァフィス全詩集』(みすず)が出て、我が国でもより広く知られるようになって

    Gen
    Gen 2008/03/07
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