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人生に関するGetajiのブックマーク (7)

  • 子供作るときどんな覚悟だった?

    俺30、31。 が子供を欲しがっていて、最近たびたび話題に上がる。 でも俺は正直子供が欲しいとは思えず、毎回議論になった上微妙な空気になって終わってしまう。 子供、どんな気持ちで作るもんなんだ? 以下、子供が欲しいと思えない理由を列挙する。 ・人生を送らせることへの躊躇 まず前提として、俺は人生がそんなに良いものだとは思えない。モラトリアムなんて言われる就職までの学生期間ですらかなりイヤだったし、仕事は全然楽しくない…というと嘘になるけど、楽しさとは関係なくイヤさがある。月曜日が来るたびに心底ウンザリするし、この暮らしがあと何十年も続くと思うとゲッソリする。 子供をつくるっていうのはその子にこんな感じの人生を送らせるってことに他ならないわけで、俺は正直それをやることに抵抗がある。 ・愛せるか? あんまり子供を可愛いと思えなくて、電車なんかで鳴き声を聞くと苛立ちというかストレスを感じるし

    子供作るときどんな覚悟だった?
  • 竹書房退職エントリ|竹村響 Hibiki Takemura

    2000年、バブルがはじけ切って就職氷河期が始まった頃。 ぼくは大学生をやっていた。 就職協定というものがあって、学生は就職活動するのは4年生、関西では4回生と呼んだけど、になってからね、と言われていたのが突然、ぼくが3回生になった途端、はい今から就職活動です!と叫ばれて、何かその真似ごとみたいなのはしたけれど、そもそも求人は少ないし、その少ない求人の中でたいしてやる気のない学生を採用するような会社はもちろんないし、結果ぼくはスムーズにニートになることに。 しかし、大学卒業直後のニートとは大学時代のゴロゴロした生活から大学を抜いたものでしかなくて、ぼくの大学生活とは漫画麻雀とバンドとバイトと単位でできていたから、バンドもバイトも辞めたぼくは、仕事もないんだからバイトは続けろよとはすごく思うのだけれど上手いことできているのかどうか卒業を控えて家族経営だったバイト先が家族ごと夜逃げして潰

    竹書房退職エントリ|竹村響 Hibiki Takemura
  • インターネットで表舞台に立たなくなってから、もうずいぶんと長い年月が..

    インターネットで表舞台に立たなくなってから、もうずいぶんと長い年月が経つんですけど、別にインターネットと縁が切れるわけでもなく、今日も俺は教え子に脅迫されるやつの最新巻を電子書籍で購入してその場で読み、サブスクでアルカテイル聞きながらはてなのトップページ見てるわけなんですけど、俺は冬燕ちゃん派です。おっさんになってくると「家でごはんつくって待っててくれる」みたいな部分に脆弱性が発生して絶望する。 いまやもう大文字の「インターネット」なんてものもどこにあるんだかわからんですが、てゆうかそんなものはもうなくて、世間様だけがあるんですけども、そういう意味で、あれまなめさんだったかな「ツイッターはインフラ」って言ってたの、あれめっちゃ質だったなあという気がします。 めっきり個人ブログの入らなくなったホッテントリ見てて、俺あんまり感傷ってものと縁のない体質なんですけど、俺かつてここにいたんだよなあ

    インターネットで表舞台に立たなくなってから、もうずいぶんと長い年月が..
  • つづ井さんは寝た子を起こしてしまったかもしれない ──地獄は地獄のままでありつづけるという話 - on my own

    【9/15追記しました】 はじめに言いたいことは、つづ井さんのメッセージは、彼女のファン層と影響力を鑑みても、おそろしく真っ当で、健やかで、まさしくこの時代にそぐうものだということだ。つづ井さんのような、感性のやわらかさと絶妙なバランス感覚を併せ持った方から、このようなメッセージが発信されたことをとても嬉しく思うし、彼女の気づきと決意が多くの女オタクの心にまっすぐ届いて、救いとなったことに間違いはない。それでも、きっとどこかに、つづ井さんでさえ救えなかった人、それどころかますます心の闇を深めてしまい、苦しんでいる人がいるのではないかと思い、このエントリを書いている。というか、いま、現在進行形で、私が苦しんでいる。この文章が同じ地獄を見ているどこかの誰かに届くことを願います。 つづ井さんの「メッセージ」、という書き方をしたが、実はつづ井さんは、誰かに何かを語りかけようとしていない。ただ、自分

    つづ井さんは寝た子を起こしてしまったかもしれない ──地獄は地獄のままでありつづけるという話 - on my own
  • 「自分らしく」生きられる時代に芽ばえる、新しい地獄 朝井リョウ

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    「自分らしく」生きられる時代に芽ばえる、新しい地獄 朝井リョウ
  • アジアで1万人以上の子どもたちを救ったある日本人医師が語る、"人生の意味"(前編)

    15年間で1万人以上の子どもたちを治療し続けた日人医師、吉岡秀人氏。日々目の前で死んでいく子どもたちを救う意味とは? 自分はいったいなんのために働いているのか? 人生の意味、命の意味を問い続けたある小児外科医がたどり着いた答えに、会場中がスタンディングオベーションを送ったという名スピーチ。 病院があっても診察を受けられない ミャンマーの医療事情 吉岡(以下、吉):ミャンマーといっても最近はよくテレビに出るようになりました。僕が医療を始めたのは1995年なんですね。1995年にミャンマーで医療を始めて。当時、ミャンマーなんか何処にあるか誰も知らない時代に、こんなところで医療をやっている日人のことは当然誰も知る由もなく始めたんですけれども。少しだけ、僕がなぜ外国で医療をするようになったかという話を一番最初にしておきたいと思います。 世の中には、医療を受けにくい人たちがたくさんいるんですね。

    アジアで1万人以上の子どもたちを救ったある日本人医師が語る、"人生の意味"(前編)
  • 支援を受けられぬまま死んでいったある発達障害者についての述懐

    私は、発達障害とおぼしき大事な人をひとり、孤立無援なまま亡くしている。その人のことを突然思い出したので、思い出すままに書き留めておく。今回はなんの落としどころも役立つ情報もないが、興味のある方は少しだけおつきあいいただきたい。 ※後半に人の死をリアルに描いた描写があります。苦手な方はお気をつけください。 心に残る、ある発達障害者(たぶん)について 私の周囲には未診断も含め多くの発達障害者(またはその疑いのある人)がいるが、とりわけ心に残っている人がいる。 それは実の伯父(おじ)である。 自分が診断を受けて以降、彼のことを公の場で口にするのはおそらく初めてだ。 ずっと書きたいと思っていた。彼の鎮魂のため、私自身のグリーフケアのため、またひょっとしてどこかの誰かの役に立つかもしれないという気持ちで、ここに書き残しておく。 彼はいつもへらへらふらふらしていた 私が物心ついたときから、父方の伯父(

    支援を受けられぬまま死んでいったある発達障害者についての述懐
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