ピクニックをしたい。そう思っても、ピクニックはハードルが高い。 わざわざお弁当を作って、友達を集めて、美味しい紅茶やお菓子を買ってきて……ピクニックは何かと準備することが多いのだ。 そんなことじゃなくて、私はもっと雑にピクニックをしたい。”この程度でいい”と思えるようになれば、もっとカジュアルにピクニックを楽しめるはずだ。
ピクニックをしたい。そう思っても、ピクニックはハードルが高い。 わざわざお弁当を作って、友達を集めて、美味しい紅茶やお菓子を買ってきて……ピクニックは何かと準備することが多いのだ。 そんなことじゃなくて、私はもっと雑にピクニックをしたい。”この程度でいい”と思えるようになれば、もっとカジュアルにピクニックを楽しめるはずだ。
書くかどうか凄く迷っているので、匿名のこちらで書かせて頂きます。 先週、ジャンプルーキーで、特別支援系地下アイドルユニット☆ハッピー障害児ガールズ1~3話を読み、感銘を受けて、それについてツイッターでツイートを幾つか投稿しました。 自分は主にオタク系の感想ツイートをしていますが、民俗学が好きなので、本漫画の感想として、柳田民俗学が天皇を偶像(アイドル)として日本を巨大な家族として捉え、それによって、そこに含まれない人々が日本の共同体から排斥された、非柳田民俗学が指摘した問題について書き、排斥された人々である障害を持つ子供達が天皇を目指すというのは、アイドルの包含からハンディを持つ人々が排除される矛盾に対して、排除された人々が自身が偶像となることで止揚を目指す意欲的作品と評価しました。 そうしましたら、それを投稿して次の日あたりから、ツイッターの通知欄が0になり(自分はフォロワーが数千程度で
群馬大学のアカハラが文集で取り上げられているけど、OBとして個人的お気持ちをつらつら書きたいと思う。 自分は学生時代に非医学部の学生として服部教授の「性と死と家族の倫理学」という授業を履修しており、また2016年にアカハラを受けた学生とも顔見知りである。 個人情報や現在進行中の裁判にもある程度影響しそうな話も知っているので詳細は伏せながら書き連ねたい。 まず、非医学部の学生から見えた服部先生は「気難しくて厳しいけど、面白い先生」という印象であった。 倫理学という観点から自分の中にあった(授業で取り上げられたテーマについての)価値観を切り崩され、また、再確認する機会となった。 あの経験があったことで、より視野が広がり、弱者やジェンダーの問題について考えることが増えたように思う。 あと、授業中に正しいコンドームの付け方を教えてくれたのは結構役に立っている(セクハラのような雰囲気はなかった) 次
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